12月31日 ラオスからノーンカイ  

 宿は、メコン川のほとりだったので、朝は、まずメコン川の広い中州に行って、日の出を見た。その後、ビエンチャンのシンボルであるアーヌサーワリーに行った。これは、パリの凱旋門を模して作られた建物で、西洋式庭園の広場もあり、どうもアジア、特に森の都には似合わない建造物だと思った。
 その後、出発準備をしてバスターミナルに向かう。12:40のノーンカイ行き国際バスチケットは売り切れており、次の14:30のチケットを15000Kで購入した。しばらく時間があるので、すぐ近くにある市場を散策した。大きな建物が2つならんでいて、まず古い方の建物に入る。おそらく、ここがもっともラオスで物が豊かにある空間なのだろう。日本のアニメなども多く、人でごった返している。奥の方に食堂があって、その奥に写真のようなゲームセンターがあった。古典的なアーケードゲームがならび、それらの電源は天井のボードから直接ひいたケーブルからとっていた。私はそのさらに奥にある食堂に座り、うどんのようなもので昼食をとった。
 その後、新しいほうの建物に入った。ここは最近できたところみたいであったが、テナント料が高いのか、ほとんどの空間が空き室となっている。しばらく歩き回って、コーヒーショップに座り、出入国カードを書いたりしてタイへの出国の準備をする。

 ラオスはこれと言って外貨を稼げる大きな産業や資源もないので、外見的には貧しいようにも思えるが、それは価値観の問題である。とはいっても、すでにビエンチャンは、大都市特有の格差社会、貧困の問題もあるようで、物乞いには多く出会った。東南アジアには子どもを使った物乞いが多く、私は、教育上、私はむやみにお金を与えないことにしている。そのかわり、お金を乞う子どもには、50円玉を与える。世界で珍しがられるこの穴明き銭は、とりあえず日本の記念品となるからである。実際、親はけげんな顔をしますが、受け取った子どもはしばらくきょとんとしても結構喜んでいる。ところが、ビエンチャンのバスターミナル前で出会った物乞いは、やせ衰えた赤ん坊にしわしわの乳房をくわえさせて手を出すおばばのように見える女であった。このときは、私も、さすがにお金を与えてしまった。出国前だったので、余ったキップ紙幣があったからだ。
    再び友好の橋を渡り、タイに戻りノーンカイのバスターミナルに行った。夜行列車の時間まで、メコン河畔を西に向いて歩いた。ノーンカイは国境の町なので、観光客もたくさんいる。しかしそれも町の中心部だけで、少し郊外に行くと素朴な田舎町である。船で越境する地元民のためのイミグレーションセンターは、日本が作ったそうだが、どうも使われている様子はない。さらに日の傾きかけたメコン河畔を西に歩いて行く。左の写真は、タイ−ラオス国境を結ぶ友好の橋である。旧ノーンカイ駅から公園を横切り駅に向かう予定だったが、周りに人家もなく誰もいない旧駅は、野良犬がうじゃうじゃいてほえまくるので退散した。ここを通らないとなると駅には時間までにたどり着かないかも知れない。仕方ないのでトゥクトゥクで駅に向かう。
 ノーンカイ駅前で十分な夜食を買って、バンコク行きの列車に乗り込む。行き先はアユタヤである。


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