ソウル二日目 

 この日は、まず、ロッテワールドと韓国民族村に行った。全天候の当時、韓国の誇る屋内遊園地であった。わざわざ韓国に来て、いい大人が遊園地もどうかと思えるが、とりあえず入園してみる。施設内にある民族博物館(3500w)とワールドアドベンチャー(2700W)も半券が残っているので、記憶はないがそこにも行ったらしい。ロッテワールドは、何か暗いごちゃごちゃとした遊園地のイメージしかなかった。乗り物に乗る気もしないし、洞窟のようなところを何度か通った印象だけが残っている。

 次は、水原にある韓国民族村に行った。ここは、1974年に民族文化資料の体験野外学習の場として、また、外国の観光客対象の観光地とする目的で作られた施設である。ゆったりと広い敷地の中に、朝鮮時代後期の伝統家屋約260棟を移転・復元して、衣食住生活を再現しているとのことだ。かや?ぶきの家々や庭、入り江に浮かぶ船など、微妙に日本のものと違う風情を楽しめる。農楽などの練習をしている者はいたが、結局、演技を見る時間はなかった。帽子にひもをつけて回すのがなかなかおもしろい。周りの木々や草本などの植生が微妙に違っているのに興味を持ったが、せわしい団体旅行なので、メモはしていない。
 時間が近づいたので、民族村を出る。入口のところに土産物屋?があって、いろいろな石を置いてあるのが見えたのでちょっと寄ってみた。さすが中国文化圏である。様々な風流?な石がずらりと並んでいる。西洋人にはこのような趣味は理解が難しいだろう。黒っぽく模様の入った石が多く、店主はやたらと購入を薦める。重い石を持ち歩くのはつらいので買う予定はなかったが、興味深いものではあった。集合時間が近づいたので、店を出る。するとよっぽど見込みのある客とでも思ったのだろう。店主がとっておきの石を持って追ってきた。日本語ではないがすぐに彼の言いたいことはわかった。石を濡らせばすばらしい色を呈すると言いたかったのだ。なぜなら彼は、両手に入るほどの大きさの石を思いっきりなめ回してくれたのだ。確かになかなか渋い色を呈していたが、これでは日本人客には売れないだろうなと気の毒に思った。けれど、商売に熱心な彼の姿には、悪い印象はしなかった。

 次にショッピングに向かった。日本人にいかに金を使わせるか...そんな印象が終始つきまとう旅行であったが、ここが正念場なのだろう。バスは観光用売店に向かう。そこは立派な建物で、一方通行でぐるりと全店内を回るように作られているようだ。たぶん外国人専用の売店で、円も使えるそうだ。印象としては螺鈿の家具類の壮麗さが一番である。キムチなどの食べ物類も多いが、ここは結構値の張る高級品が多いようだ。いわゆる偽ブランド品もずらりと並んでいる。これが違法だとは当時は思っても見なかったので、冗談で偽ローレックスでも買おうかと思った。が、原則として土産物屋にあるものは買わない主義だったのでやめた。それより一般の街に興味を持っていたので、一気に店を駆け抜け外に出た。時間内にそのあたりを散策しようと思ったのだ。
 まずは、普通の商店に入った。中は昔懐かしい何でも屋の様相である。日本人客を意識しない最初のエリアであり、何か買えるものはないかと探す。アイスでも買おうか。とそのとき、遠慮も何もない早口の韓国語が私に投げかけられた。そのアジュマは、たぶん「何がいるのかね」とでも言ったのだろう。しかし私は慌てて、結局何も買わずに店を出た。次にその店の横の路地にはいる。ふつうの住宅街なのだが、とにかくどの家も塀が高く、厳重な門が閉まっている。小さな家でも、まさに城郭のような外観なのだ。ちょうど家を造っているところにも出くわした。それがすごいのだ。柱も鉄筋もなくコンクリートブロックを単純に積み上げているだけなのだ。地震国日本では考えられないことだが、世界的に見るとこれが当たり前なのだろうか。時間になったので、元の売店に戻る。

 ガイドは時間があるので、韓国独立国家の英雄である安重根のゆかりの地へ行くと言いだした。そして安重根について熱く語る。私には無理に時間を作り、はじめからそこに行くように仕組まれたように思えた。伊藤博文のハルピンでの暗殺については聞いたことがある。しかし、その犯人が韓国人だったとは初耳であった。彼女は、「祖国の独立と東洋和平」のため「乙巳保護条約」締結等多くの罪を持つを伊藤を暗殺した国の英雄だという。しかしどう考えても彼の行動は、朝鮮併合のきっかけを作った愚行(テロ)にしか思えない。ガイドのこういう行動は、私にとっては不愉快であった。バスは南山の登山道を山頂に向かう。後に調べると彼の記念館は南山山麓にあったので、この時そこに行ったのかはわからない。、山頂のソウルタワーに行った様な記憶がある。もし、ここはソウルの中心地であり、ソウル展望の絶好地であることをきちんとガイドしてくれたなら、タワーに登りソウルの街を展望したであろう。しかし、このときは、ソウル郊外の小さな山くらいにしか思ってなかったので、うっとうしい気分でバスから降りてその辺を散歩しただけであった。
 この後、バスはレストランに立ちより、ヘムルチゲを食べたと旅程表にはなっているが全く記憶はない。ただ、バスがタプコル公園の横を通ったとき、ここが3.1抗日運動の拠点であったことを聞いて、明日の朝行ってみようかと思った。この後、ロッテホテルに戻った。


  H7.7.31