月精寺

 バスから降りて見渡すとバス停もないし、近くに寺のような建物もない。人一人いない道路の上だ。はじめての所だったら悩むところだが、月精寺の北の端だと見当がついているので、そのまま左の奥の道を進む。しばらく歩くと観光客が、私に何か聞いてきた。もちろん説明できる立場ではないので、断ったが、観光客がいるということは寺も近い。しばらくまっすぐ歩くと、左手の土塀の奥が寺のような雰囲気である。やがて五臺山月精寺と書かれた大きな門(西門)が見え、その前には月精寺の観光案内図の絵が書いてある。雨も降って来たので、急いで門の内に入る。二十人くらいの観光客がいる。
  月精寺は五台山の東溪谷、うっそうとした林の中に位置している。中国の五台山で文殊菩薩を見た慈蔵律師が643(645?)に創建したと伝えられている。しかし朝鮮戦争によって完全に焼失し、今あるのはその後再建したものである。 広い寺内には、中央に高麗時代の代表的な石塔である八角九重石塔(国宝第48号)が建ち、それを取り巻くように多くの伽藍が建っている。塔を中心とした写真を撮った後、中央の拝殿(本尊は降魔印の釈迦如来)の中を撮していると、中にいたおばあさんに注意された。ここも日本のように撮影禁止らしい。
 次々とに極彩色でさまざまな仏絵が飾られた建物を巡ったが、雨がだいぶ降ってきたので、鐘突き堂の下の売店に入った。さまざまな仏教関係の品が売られてているのは、日本も同じようなものである。私はいろいろ迷ったが荷物になるので五台山の地図のバンダナを買った。
 南が正門らしく、そちらに向かうと正面の門らしきところに来た。そこを出ると右手にトイレ(ファンジャンシル)があるとの表示がある。トイレは外は寺風だが、中は現代的できれいなトイレになっている。用を済まして、トイレも写真に撮っておくかとちょっと離れると、足もとに紙切れが何枚か落ちているのに気づいた。よく見ると一万w札ではないか。計三枚落ちていたが、物価の安い韓国では大変な額であろう。
 正門の前は工事をやっていたが、その向こうに社務所らしきところがあるようだ。雨の中、社務所に走り込む。中はパソコンも何台か設置されて、女性の事務員もいて普通の事務所のようだ。何と声をかけたらいいものか悩んだが、とりあえず食堂などで使う「ヨギヨー」と言ってみた。僧衣の背の高いめがねをかけた三十歳くらいの坊主が出てきた。
 そこでハングルでは語彙が少なすぎるので、ハングル混じりの片言の英語で、「ディスマネー・イズ・フロント・オヴ・ファンジャンシル。・・・・」など、手ぶりも交えながら熱弁する。だいたいの内容は分かったと思うが、濡れた三万wを差し出しながらの言葉は、いい加減に判断するわけにも行かず、ちょっと待つように言われた。しばらくすると70歳くらいの紳士が出てきた。「どうしたのですか。」と流ちょうな日本語で聞いてくれた。韓国の老人は強制的に日本語を覚えさせられたので結構話をできることができる。トイレの前で3万wを拾ったので届けに来たことを説明すると、何度か「ありがとうございます」と言ってくれた。言葉が通じると言うことはトラブルの時にいかに便利か思い知った。雨も降ってきたので傘を差して、南に向かう。
 すぐに大きな駐車場があり、土産物屋もあった。ここがバス停なのだなと思って、そこの店のアジュマに珍富へのバスの乗り場を聞くと、どうも道路に出たところを指している。そこにバス停があるらしい。大降りになってきた雨の中、道路に出てみたがバス停らしきものはない。仕方ないので、どちらにしても月精寺の観光旅館街がある南に向けて、バス停があるまでバス道を下ることにした。月精寺入り口の道には、樹齢五百年以上の有名なもみの木の森が続いていたが、車止めのある最後の門を出ると一般道路歩きとなる。雨もひどくなってきて隠れるところもないので、レインカバーをするが、そういえば韓国ではこのレインカバーはみたことがなかった。束草でも売ってなかったし...。
 今日の出発をバスに合わせていれば2時間くらい後にずれるので、五台山山頂付近で大雨に出会ったことになる。このことから考えるとタクシー利用の早朝出発は正解であったということになる。

   2002' 8/27