中青避難小屋での夕食
景色を見ながらパンをかじっていると、背中を誰かがつつく。何だろうと振り向くと、後ろの二十歳くらいの2人の青年がこちらを呼んでいる。「えっ」と思ったが、「・・・カッチ・・・」という言葉と手振りで、何が言いたいのかはすぐ分かった。一緒に食べようというのである。日本人は結構一人で行動することが多し、それを楽しむことができる。しかし、ウリの文化の韓国では、食堂でもまず一人で食事をすることはない。今回の旅行でも一人で食堂に入りづらいし、食堂の人もちょっと困惑した目で見ることが多いのに気づいた。気の毒とか、かわいそうなとか思うのであろう。韓国人の食事は、普段大勢でする習慣ならば、みんなが楽しく食事をしている目の前で、ぼんやりと一人パンをかじっている男の光景は、かわいそうというより、ほっておけないのであろう。日本では一人で感傷に浸っている人に、滅多なことでは声をかけたりはしないが、韓国人にとっては落ち着かない状況なのかも知れない。日本ならご遠慮するところだが、ある程度、その辺を勉強していた私は、むげに断るわけにもいかないので、ごちそうになることにする。
この二人連れは、小青峰の登りで私を抜いていった人達だ。ご飯も3合ほど炊いているし、スープ(チゲ)にタッパーに入れたペチュキムチ、パックのにんにくの漬け物、それに海苔で夕食をとろうとしていたようだ。一緒に食べるとなると、ちゃんと私の分も容器と割り箸、スッカラ(一般のステンレスフルサイズもので結構重たい。なぜ、人数分以上に持ち歩いているのか?)を差し出し、好きなだけ取れという。日本ではお行儀が悪いとされるが、ご飯にキムチを入れてスープをかけて食べる。これは何という料理かと尋ねると、ちょっと考えて「キムチチゲ」と答えた。韓国の山ではこのような食事の仕方が当たり前なのであろうか。すなわち手分けして、鍋やコンロなど持って上がって、料理するのである。そういえば他の人もそうである。もちろんこの時、器を持つ日本式の食べ方はお行儀が悪いので、机に置いてちゃんとスッカラですくって食べる。
韓国語はほとんど話せないので、会話はできない。二人は一方は茶髪でがっちりしているが、他方は華奢で優しそうである。結局名前は聞かなかったが、話し方から優しそうな方がリーダーのようなのでL、もう一方をSとでもする。Lが英語は話せるか?と言うので、多くは英語で話した。Sは英語はあまり得意でないらしい。Lは江陵出身で、Sはスキー場で有名な江陵の西のユンピョンというところの出らしい。先輩には礼儀正しい儒教の国なので遠慮しているのか、彼らとも大した会話にはならなかった。ビールが無くて残念だとか、中青峰のレーダーは何のためにあるのかとか、江陵はスペルはカンルンなのになぜカンヌンと呼ぶのかなど話した。私はよく「オディエヨ」と「オンジェヨ」を使い間違えるのだが、それでさらに会話はややこしくなった。彼らは若いので、とりあえず知っている「ハクセンイエヨ?」と聞いてみた。彼らはちょっと困っていた?が「ハクセンアニエヨ」と言う。では、軍役は?とも思ったが、その辺は聞きにくそうだったので、あまり深くは聞かないこととした。
彼らがどれくらい日本のことを知っているのだろう?また興味を持っているのだろう?日本のことは特に聞いては来なかったが、どうも水野俊平のまねだと思えるしゃべり方をLがして笑っていた。話は聞いていたが、日本ではほとんど知られていない水野俊平の国際人としての活躍は、この江原道の若者にも反映しているのか?。
食事は最後は、容器に水を入れて湯漬けにして洗いながら残りを仕上げる。しかし、米やおかずまでここまで担ぎ上げるのは大変である。それをごちそうしてくれたのだから、こちらも何か...といっても何もできない。せめてものお礼に缶コーヒーをごちそうした。缶をどうするのか心配だったが、小屋の前に二つのゴミ箱があってそこに入れればいいことが分かった。一つは燃えるゴミ、もう一つは缶やびんなどを入れるようだ。日本では持ち込んだゴミは持ち帰るのが原則でありマナーだが、ここでは遠慮なくこのゴミ箱を利用している。
多くの人が八時を過ぎてもテーブルの仲間で固まって食ったり談笑したりしている。星空は当たり前だが、日本と特に変わったものではない。昨年行った北海道ほど北極星も高くはないし、星座も特に変わったものではない。このごろには上空は快晴となり、下界は雲海状態となっている。しばらく涼んで、部屋に戻った。
9:00前に放送があって、その後、職員が宿泊部屋をチェックに来る。その後消灯。消灯前は遠慮なくふんだんに電気を使っている。特に小屋内の電灯は明るく、職員も事務所でテレビを見ながら鍋を囲んでいた。しかし、小屋でいるかぎり発電器の音が聞こえない。トイレも一日中灯りが灯る。消灯後も入口の非常灯が明るいので、ほとんどライトも必要ない。
さて、今日は結構歩いた。おかげで、目をつぶり横になるとすぐに寝入っていった。
2002' 8/25