済州の夜

 ハンラサンホテルに入りフロントに立つと、奥からアジュマが出てきた。部屋は空いているとのこと。三万(三万五千?)を払う。日本人だと分かると、アジュマは主人を呼んできた。出てきた主人は、日本語が堪能である。地図で、今の位置を教えてくれた。明日、私が成板岳コースでハンラサンに登ること、朝タクシーを呼びたいことを言うと、ちゃんとしておくから心配ないと言ってくれた。明日の登山だけは、この旅行で予断を許さないことだけに、このホテルに巡り会ったことは幸運であったといえる。
 ホテルに荷物を置き、食事と明日の準備物(食料とストック等)を買いに出る。南星路を北上し、観徳路との交差点あたりにある店を覗くと、なんとスンデを売っているではないか。一度食べてみたいと思いながら、いままで屋台でも見つけることができなかったブタの血の腸詰めである。スンデを指して「イゴジュセヨ」というと、アジュマは電子レンジで温めて渡す。二千wを渡すがそのパックは、スンデと腎臓のような切り身がたっぷりはいってかなりボリュームがある。背中のポケットに入れ、スンデをつまみながら観徳亭に向かう。スンデは、ちょっと生臭いが、餅米や野菜、春雨が薄味でボリュームもあって
 観徳亭は、済州で最も古い建物で、李朝時代の兵士の訓練所である。外壁のない道場のようなもので、特にしきりもないので、上がろうと思えば上がれる。奥は公園のようになっていて、今いろいろと工事をしている。案内板を見ると、この一帯は、済州牧官衙の址らしく、外大門、延儀閣、橘林堂などが復元されているとあった。
 あたりも暗くなってきたので、地下街に入り東に向かう。どうもこの地下街が済州で最もにぎわいのある商店街のようだった。この日買って帰るのは、とりあえずは登山用ストックとマフラー(狩猟用ジャケットはフードが貧弱なのもあって、防寒面で不安があるから。できれば、ガスボンベもあればよいのだが..。)、そして明日の食料と今晩の酒と肴だ。地下街から東門市場を歩き探すが、ストックはともかく、何でもあるといわれる市場に薄手のマフラーがないのである。機能だけがほしいので、ブティックで高価なものを買う気にもなれないし...。市場の前には焼き芋屋が出ている。韓国ではいわゆる石焼きイモと違い、写真のようなボイラー?付きの車に小さな丸い引き出しがあって、そこにイモを入れる方式のようだ。歩くのにも疲れてきたので、中央路あたりを通り、アウトドアショップを探しながら、ホテルに向かう。
 その途中でプラモデル屋を発見、ディスプレイにはなんと1mもの戦艦大和(ニチモのとは違うようだ)がどんと置いてある。韓国に優れたプラモデルメーカーがないのかもしれないが、亀甲船ならともかく反日イメージが強いので、軍国日本の象徴があるのは意外だった。さらに少し行くとジブリのキャラクタ専門店もある。
 途中、大きな本屋があるので、入って漢拏山の登山地図(ソウルで買った1000w地図ではちょっと不安なので..)を探した。店員にも探してもらったが、雪嶽山、五台山、チリ山などはあるのに肝心の漢拏山がない。せめて地元の書店には置いてもらいたいものだ。通りがかったスポーツ店の奥に、ストックらしきものが見えたのでそれを購入する。adidasのサス付きのストックである。
 ホテルの近くの食堂に入り、夕食をとる。メニューを見ると1万w以下のものは、ほとんどカルククスばかりで、カジョンシクベクバン(日本でいうところの定食?)4000wを注文する。
どんなものが出てくるかと思っていると、ブタの味噌焼き?、焼き魚、チジミ、ナムル類とペチュキムチにスープのついた、派手さはないが食欲をそそる内容である。量もちょうどよく、名前の通りこんなのが韓国の家庭料理なのかもしれないと、ビールとともにおいしくいただく。日本の旅行者は、こういう地味で一般的な食事ができにくいのかもしれないが、飽食にうんざりしている私にはなつかしくそしておいしい。
 食堂を出ると、コンビニで食料類を買う。キムパプ、サンドイッチ、パン、クラッカー、バナナにオレンジジュースとバナナ牛乳、酒は漢拏山焼酎である。
 午後7時半頃、ホテルに帰ると、主人が国立公園管理事務所に連絡してくれたらしく、明日は8時まで登山口のゲートが開かないので、7:30出発にしたらと言ってくれた。7:30にタクシーをお願いして部屋に上がる。オンドル部屋は快適で、たっぷり残ったスンデを肴に飲みながら明日の登山道を確認する。この夜は明日のことを考えて、早めに床につき、テレビを見ながら寝た。

  H14.12.26-6