それから10年ほどの時が流れ、この地域の小学校も中学校も本三崎の学校に統合され三崎町は伊方町になりました。もちろん自然の宝庫である灯台には毎年のように訪れていましたが、気になっていたのは日本で唯一残る貴重な弾磨き鍛造所がどんどん朽ちていく様子でした。実はこの施設はK氏の所有になっていて、私はK氏からそ一見普通の建物に見えるがその構造や素材が独特であることなど行くたびにいろいろ教えていただきました。でも、彼は自分のものの保護を言い出しにくかったのかも知れませんが、結果として三崎町と伊方町はその価値を行かすことはできませんでした。K氏が亡くなったという報を聞いてしばらくしたある日、この施設が焼却処分されているとの報を聞いて取り急ぎ現場に向かいました。そのときの様子が上の写真でもうほとんどが燃えつき灰となっていました。このときはさすがに自分の無力感に呆然となりました。その跡の基礎の部分やまわりの石垣はそのまま残りBBQ棟となっていますが、ピクニックハウスに行くたびにこの施設のことを熱く語っていたK氏の姿を思い出して胸が痛くなります。
近年、学校教育の中で「平和学習」という教育活動があります。これは今の平和を維持するための学習とか人権史としての学習と考えられます。でも、多くの場合「平和」の定義づけさえ曖昧なままで、内容を掘り下げることなく暫定的な思いつきで行われているように思えます。成長過程を考えると、小学校中学年までは戦争被害の学習、そして歴史を学ぶ小学校高学年では戦争の歴史の分析と対比、中学生では安全保障の実態と課題の学習を義務教育で押さえておきたいところです。そして、選挙権を持つようになる高校では、グローバルな視点での自国の安全保障と平和貢献まで考えて決断できる国民になってほしいところです。
ところが「日本は平和憲法で平和が維持されてきた」とする楽観論が主流です。日米安保と核の傘に守られてかろうじて維持してきた東西冷戦の歴史すら過去のものです。宗教や民族、テロや内戦、経済格差や難民、さらには宇宙やサイバーにいたる複雑で複合的な現代の戦争を自覚する必要があります。そして戦争関連地を見せたり原爆や空襲などの被害学習など前時代の歴史学習に近い見せかけの平和学習は手短に終え、現実的な平和学習に取り組むべきだと思えます。
でも私を含め戦後の昭和生まれこそが世界でも希な「平和ボケ」世代です。他国に自衛を任せていた時代なら平和ボケでもよかったのですがそれが通用しなくなる時代が来ることは明かです。今の若者の足かせになり国を危うくしそうなこの世代に現実的な平和学習が必要でしょう。隣国が国家の存亡を賭けて向かい合っている焦臭い地域が複数あり、軍事大国の力が微妙な均衡を保っているのが今の東アジアです。そのような地政学上難しい立場の日本も一端事が起こると何らかの形で厳しい選択と苦渋の決断を迫られます。その現実をとらえてきちんと平和学習を進めてほしいものです。
そのようなことを考えて佐田岬半島の学習素材をみると、まずは酒巻和男の生き様を軸とする日米開戦時の戦争の矛盾が学ぶ学習を展開でできそうな三机湾の九軍神があります。では、三崎地域の戦争遺跡からは何を学ばせるというのでしょう。本土決戦のための砲台工事で殉死した3名の兵士や青年士官の御籠島での事故死くらいしか教材化できそうな記録が残っていません。歴史と共に不要物となる砲台要塞とそれに投じられる莫大な税金という経済視点からのアプローチできるかも知れませんが、単に戦争の跡を見せるだけなら断片的な歴史教育か観光遺産としての実態調査としての学習であってこれは平和学習とはいえません。
このような交戦実態のない戦争遺産をもつ自治体はその扱いや保存について頭を悩ましています。私も日本全国の要塞をめぐりその活用や今後の扱いについて考えさせられています。ただメディアは映像を適度に加工して話題性のあるネタにするので、それを実績だと勘違いして飛びつく自治体や教育機関が後を絶たないわけです。
灯台百年が近づき灯台周辺は町の観光資源としてさまざまなアプローチがなされていきます。伊方町も新しくできたNPO法人夢希会も力を入れて灯台をアピールする活動をしていきました。すばらしい活動をたくさん行っていると思いますが、2つのことについて問題視することがあります。まず前提として灯台周辺を大規模工事するとなると1本道の遊歩道を通行止めされると一般の人はその先で何が起こっているのかチェックしようがないということです。
工事の合間に私が久しぶりにこの地を訪れて一番驚いたのは御籠島の開発です。確かに砲台の通路を空けて灯台を正面に見ることのできるこの島に展望台を作るという考えは、灯台観光という意味では的を得た開発だと思います。私が見たのは制約の多い国立公園にあるこの島に重機を使ってガリガリ穴を空けたり岩を削って遊歩道を通しているところでした。
しかし御籠島がどんな島か三崎の人間ならある程度知っているはずです。野坂神社のご神体が引き上げられたのがこの島であり、いわばこの島は神の島です。野坂権現といえばこの周辺の漁業民にの豊漁を授け漁民の命を守る海の神として信仰を集めていました。特に板子一枚下は地獄といわれる漁師の信仰は厚いはずです。こんな島を傷つける工事を正野や串や与侈の住民は本当に許したのだろうか?とビックリしました。私でも灯台に行くときは杉山の野坂神社分社に参るくらいはしていますので、この光景を見て何か起こらなければよいがと...科学を教える人間ながら思わず手を合わせました。
危険な登山をしていた頃の私も一歩間違えばという思いを何度も経験しているので神格化した自然に対しての強い信仰があります。おそらく議会でもしっかり審議し住民には細かに説明して念入りにお祓いしての工事なのでしょうが、私にはこのような所業は恐ろしくて受け入れることはできません。直後に起こった左写真のような想定外の台風被害(写真のように電柱などがなぎ倒されBBQ等の資材の入ったコンテナもひっくり返されトイレも大破した)も関係がないと私には思えません。そういえば砲台工事のときも将校が人柱になったかのように謎の転落死をしたのがこの島です。そういえば最近の野坂神社の夏の例祭は驚くほど閑散としています。この出来事は漁師の信仰の変化や住民の自然への畏敬の念の実態を如実に表しているように思えます。
次に上げる問題点は税金の使い方です。これも整備事業がほとんど終わった段階で知ったことなのでしかたないと思うべきなのでしょうが、本当はどうなの?と思ってしまうポイントがあります。佐田岬灯台の遊歩道は軍道なので作りはしっかり作られていますが、キャンプ場へのジグザグ道はショートカットする人が路肩を崩しできれば整備してほしいところでした。ところがその坂道ばかりかほぼ遊歩道の全てに軟質素材の舗装がなされています。実はキャンプ場周辺は三崎町がかなりの出資をして地元の誇りである青石をつかった舗装がなされていました。水はけもよく歩きやすい上に景観面でも気持ちのよい遊歩道でした。そこにもその上にべったりとのっぺりした新舗装面がのっています。前の青石舗装の残る写真を見るとどのような構造か想像がつきます。ポジティブに見れば膝に優しく車椅子などではガタガタ感がないともいえますが、森林帯の急坂では湿気を含みコケなどで滑りやすくなっているようにも思えます。転倒という新たなリスクとわざわざ整備されていた場所まで...ということで問題提起します。全国のいろんな遊歩道を見ると結構新素材の素材は見苦しい越年変化や劣化が見られます。その耐用期間がどの程度か分かりませんが、意地悪な言い方をするとこのような整備事業は後のメンテナンスも含め地元業者には定期的な収入源になるのかも知れません。税金の環流という意味で経済的にも肯定的にとらえられますが、化学が専門の私には保護すべき自然の中に人為的な化学新素材を使うことにはかなり抵抗があります。将来どうなっていくか厳しくチェックするとともに同じような事業がある場合の判断基準になることでしょう。
最後の課題は心情的な問題です。佐田岬灯台駐車場から遊歩道に入る地点には名物の露天商の2人のおばあちゃんと猫(タケちゃん)いつ行ってもいました。そのばあちゃんは知り合いの祖母ですが最近物忘れがひどくなって毎回思い出していただくために自己紹介が必要になりました。彼女たちは昼前から駐車場から客がいなくなるまで荒天以外の日はほぼ毎日、一日中商売しているのです。
令和になったある日、商売熱心な彼女達ががまだ駐車場にいる時間なのに自宅前にいました。あれっ?と思いましたがその理由はすぐ分かりました。写真のように駐車場には明らかにおばあちゃんの心を折る内容の立て札が設置されていました。行政が高齢でも働く町民に町税を使って圧力をかけるのはどうなのでしょうか。
海外旅行で鍛えられて売り買い交渉が苦でない私には押しの強い商売は観光地のアクセントだと感じます。私は彼女らの商売の様子を何度も見ていますが、所詮現代の日本ですから強要するでもなく現品売買なので問題はないと思っています。まぁちょっとしつこい言い方をする場合もありますがそれは正野人としては許せる範囲です。
昔、私の世代は祭りのテキ屋や駄菓子屋のちょっとずるい商売人相手にときには騙されながらも果敢な駆け引きで挑みました。その経験で経済観念と交渉力が育ったものです。寅さんの啖呵売も同じようなものじゃないですか。ところが最近は品定めもろくにできず自分の優柔不断の結果に後でぐちぐち文句をたれる人が増えてきました。そんなんだから外国で日本人はとんでもない額でぼられたり、テレビショッピングの勧誘やカード決済の誘惑に負けたりして過剰な商品と借金だらけになるのです。そんな自己中心でコミュニケーション能力不足の人にいちいち行政が相手するのはどうでしょうか。それこそコミュニケーション能力を向上させてじょうずにいなしてほしいと思います。多数の露天商がいるのならともかくはっきり個人が限定できる立て札を、商売している場所に立てるやり方は陰湿ないじめの手法です。問題点を解決したいなら本人と対面して話し合うべきです。
さてここで視点を変えてみます。そもそも商売人を悪者にしていますが苦情の本質は違うのかもしれません。私が聞いた観光客のほぼ全てが、この駐車場まで来てかなり歩かなければならないことを知ってかなりストレスを感じていました。もしかするとおばあちゃんがそんな不満のはけ口になっているのかもしれません。それならばおばあちゃんたちの立場はストレス緩衝または被害者ということになります。私は必ずおばあちゃんとかけ合いながらいつも楽しく灯台観光の現状を教えていただいています。毎日こんな吹きっさらしの歩道に座って命を削って生きている彼女たちの情報はかなり貴重です。
そうしてもうひとつ彼女たちの功績が考えられます。それは彼女たちの目です。実はこの無人地帯のある観光地というのは軽犯罪の坩堝になりやすいのです。右の写真を見てください。灯台百年でほとんど取り替えられたり消されたりしましたが佐田岬灯台に設置している看板類はこのような落書きがありました。また植物の盗掘跡も何度も見たことがあります。右の写真なんか灯台百年前に設置された新しい案内板(黄金碆の伝説の書かれた椿山展望台のもの)に悪質ないたずらがなされています。灯台には失恋の心の傷を負った者も訪れます。そんなとき「ラブリング」を見たら切れて暴発する輩もいるのでしょう。灯台に行く観光客は全ておばあちゃんたちの視線にさらされることになっていました。犯罪者の心理としてはそこで声まで掛けられれば、その先で露骨な犯罪行為を考えたとしてもブレーキがかかると思うのですがどうでしょうか。もしかしたらおばあちゃんたちは佐田岬灯台観光の本当の功労者なのかも知れません。
さて、おまけとしてこのおばあちゃんたちのもう一つの物語があります。猫の「タケちゃん」のことです。
右耳が半分ちぎれた汚い老猫ですが、実はこの猫は灯台百年整備の最大の犠牲者なのです。どうも工事用の油(タールのことかな?)の入った大きな容器に落ちて死にかけていたそうです。それをおばあちゃんたちが助け出して、何日もかけて体を洗って食事を与えて命を救ったのです。以前たまたま私が行ったときは助けられて数日後で、目を開けるのも鳴くのもやっとで座ってもふらふらしていていました。(そのときの苦しみに耐えるタケちゃんを見たい人は左の猫をクリック)おばあちゃんたちはタケちゃんにとっては命の恩人なのです。先日行ったときはおばあちゃんたちもタケちゃんも灯台駐車場にはいませんでした。もしこのままおばあちゃんが行き場を失い老けて動けなくなってしまったら誰のせいなのでしょう。そしてタケちゃんの消息は?
とりあえずは駐車場にダミーでもいいので分かりたやすい位置に監視カメラを設置してくださいね。伍助会としては感謝状を贈りましょうか。