新四国八十八ヵ所

 昔、二名津で大火事があって、ほとんどの家が焼けてしまいました。
それで、以後そのような災害が起こらないように村人たちがいろいろ思案しました。
その結果、お大師様の四国八十八ヶ所巡礼路をつくろうという計画が持ち上がりました。

そうやってできた二名津の新四国八十八ヵ所は、大山のうねである金比羅山を中心に作られています。
札所の一番は二名橋のたもとの大師堂の中にあり、巡礼路は金比羅山を番号の順番に一巡りします。
最後の八十八番札所は西の慈照院にあります。
それぞれの札所にはご本尊の石仏があります石仏には四国八十八ヵ所の札所の石ときざまれてあります。
また札所の番号とともにその石仏を寄進した当時の人達の名前がきざまれています。
春、三月二十一日はお大師様の命日です。
この日は大師堂でお籠もりやお接待もあります。

(八十八ヵ所は城山から大山のうね、大山から回って佐田の道路までの順で置かれています。)
 二名津新四国八十八ヵ所をつくた人は浜田しょうしろうさん達だということです。
浜田さんは文久の一つ前の時代の人だとわかっています。
それ以来、四国八十八ヶ所の巡礼が広く知られるようになり本四国八十八ヶ所にお参りに行く人達がでてきたそうです。
その人達に聞くと、久万の岩屋寺という所が札所の中で一番ありがたい所だそうです。
困つたことがあれば、お大師様をお参りすると御利益があるそうです。


  出典:二名津中学校「郷土の昔話」・・・平成3度 中井ふじえ(二名津92歳)伝,編集:ただち(5302),(5416)