三崎の秋祭りでは、牛鬼と四つ太鼓のけんか練りが一段落すると、三つの神輿が広場に安置され、その前で子ども達を中心としたさまざまな舞が献上されます。
 まずは稚児の舞ともいわれる浦安の舞です。神輿の前にはむしろが敷かれ、巫女の格好をした幼女八人(原則として5年生)が登場してきます。そして前後四人ずつ、唄に合わせて舞います。扇の舞の後に剣の舞が続き、片方の四名が舞っているときは、他方は後ろに控えています。
 相撲甚句は100年以上も前から行われていますが、その由来は分かっていません。
 本来男児の行事でしたが、子どもの数の減少により平成25年から女子も参加するようになりました。
 三崎にどのように伝わったのかは分かりませんが、江戸時代に宇和島藩であったところの多くにこの踊りが残っています。伊達政宗の子どもが仙台から宇和島藩に移ってきたときに、故郷の仙台の踊りを懐かしみ、家臣に鹿の頭を作らせ舞わせたのが始まりといわれています。
三崎の西組の中学生五名が鹿の面をかぶり、両手で太鼓を打ち鳴らし、歌を歌いながら輪になって踊ります。その歌は哀調を帯びており、踊りは足の運びが独特で素朴で優雅なものです。
このいつしか踊りが終わると唐獅子の舞が献上され、御輿の前での行事が終了します。
 
