報道新聞重点企画 松探険「松を知ろう!」 平成11年6月13日(日)調査

 われら報道委員会の松調査班5名は、松地区の数々の謎を解明するために、松にのりこんできました。そして、今まで知られていなかった数々の情報を得ることができました。そして、それを私が調査報告としてまとめてみました。あなたもこれを読むことで、松のすばらしさを知ることになるでしょう。そして、みんなで松を世界一の観光名所として世界に広めましょう。

調査コース

二名津中学校出発→ お宮→松商店街・水神様→ Uさん宅→ 宇都宮誠集生家→ 集会所→ お寺と墓地→ 五輪の等の祠→ T君宅→ 松港→ 松小学校跡→ 宇都宮誠集の墓→ 帰校

松への道 (自然の美と厳しさを味わえる見舞崎灯台まわりの道)

 皆さんは、まだ松というところに行ったことがない人もいるのではないでしょうか。では、まず、私が二名津から松までの案内をします。二名津湾の西側の道路を進むと明神に着きます。それをさらに進むと漁業協同組合のある泊(明神)の港になります。そこからが大変です。二つのヘアピンカーブを登り、山沿いの道を行くと、ここ数年ずっと工事の続いている現場にでます。数年前に崩れたこともあるので、注意して急いで通り抜けます。すると、やがてスリリングな崖の上の道となります。この辺の崖は、赤みがかった岩石が多く、見舞崎にかけて奇岩が続きます。トンネルになった岩も見えます。これらの景観に見とれていると、やがて海に突き出た岬である見舞崎の灯台が見えてきます。

 この辺りは強風地帯で、特に冬は北風をまともに受けるところです。しかし、ここから見る夕陽の美しさはすばらしいといいます。
松の生徒ががまん強く、感性が豊かなのは、こんな試練と美の場を毎日自転車で通ってくるからなのです。恐るべし松人!

 さて、見舞い崎を過ぎ、蜜柑畑の中をしばらく行くと松の集落はもうすぐです。途中で道は上下に分かれますが、松の集落の全貌を見ておくために、私たちは上の道を行くことにしました。やがて、眼下に松の集落が広がってきます。私たちは松の上の道をぐるりと回り、松集落の最上部にあるお宮の上で車を降りました。いよいよこれからが松調査の始まりです。

松天満神社  (松を見下ろし、ひっそりとたたずむ鎮守の森)

 私たちが最初に向かったのはお宮です。3年生は松遠足の第4チェックポイントといえば分かるでしょうか。
 境内にはいるとすぐに蚊の集団がぶんぶんと襲ってきました。でも、私たちはそれにもめげず調査を続けたのです。エライ! (遊びに来る人は注意して下さいな。あ、他にも犬もいるよ)

 松の神社は天満神社といって、菅原道真を祀っています。なかなか立派な造りで、右には小さな子分のような社があります。左にはさまざまな神仏をおけるようになったところがあり、恵比寿様や大黒様、不動明王などさまざまな置物がありました。鎮守の森を構成する木々も迫力があり、灯籠にも気品が感じられます。

 さらに私たち調査班は、拝殿の中へも入っていきました。中にはどこのお宮でもある太鼓や賽銭箱の他に、さまざまな絵がありました。いかめしい戦争物の他、明治時代に奉献されたという登り龍などの額があります。また、天井の格子の間の板にはさまざまな絵が描いてありました。その中で委員長が推薦するのは、写真Pの富士山です。しばらく絵を見ていましたが、いたるところを蚊にかまれるので、次のところへ行くことにしました。傾斜のきつい階段を下って、鳥居をくぐり、松の中心部に向かいます。

松商店街 (松の生活の中心地だったところ。今は店が一軒)

 神社から少し下りたところに食料品を中心にいろいろな物を売っている渡辺商店がありました。昔はこの辺りにはたくさんの店があって、松商店街を形成していたそうですが、今ではこの一軒だけが残っています。Yくんちも数年前までは商店をやっていたそうです。この下には水場もあって、水神様も祀られていました。だから、この店の辺りは松の中心部で、いわば銀座の一等地ぐらい松にとって価値ある場所なのです。

 さらにツタの絡まる渋い家を前を通ると犬のやたらといる地帯にさしかかります。対して怖そうな犬ではないのですが、調査班の中には犬嫌いがいて、例えば写真係のU君などは泣きそうな声を上げるので、さすがに見かねた人が犬を自分の家に閉じこめて見守ってくれました。でも、パンダ犬のような犬は、その辺にたむろしていたのです。

U家   (最近松に立った新しい家)

 そこから、Yくんちの前を通り、川沿いのコンクリート道を下っていくと、車道に出ました。そこには去年できたばかりのUさん宅があります。せっかくなのでと、あつかましい一人が、U家のベルを鳴らしてしまったのです。しかし出てきたMさんが、麦茶でもとすすめるので、つい取材班は居座ってしまうことになりました。私は、麦茶でのどを潤し、生き返りました。麦茶で退散しようと思っていたら、そのお母さんがアイスなど下さいました。まあなんてすばらしい方々なのでしょうと思いつつ、遠慮なくいただく取材班でした。ちなみにその中の写真係のU君は、我を忘れて食べまくっていいたので、この場面の写真がありません。

宇都宮家  (晩柑の父宇都宮誠集の生まれ育った家)

 次に車道からちょっと登り返したところにある、三崎町の晩柑の父であるあの有名な宇都宮誠集の実家に行きました。
 ここにはアロエが生えていて、どういう気なのかそれをなめているあぶない女がいました。「恥ずかしいのでやめて」と注意する人もいたのですが、彼女は「これは薬なんよ・・」と平気です。困ったものです。
 さて、宇都宮誠集さんの生家の前には、夏柑の古ーい木があります。たぶん、松の長い歴史を見守ってきた木でしょう。昔の三崎町の人は自給自足の苦しい生活を送っていたそうです。誠集さんはその状況から人々を救うため、本職の郵便局の仕事とどちらが本当の仕事か分からないくらい一生懸命夏柑苗を植えて育てていたそうです。(ちなみに苗木一本の値段は1円50銭だったといいますが、当時は米1升が10銭程度だったそうです。)
夏柑の苗は着実に育ち、それから自信を持って農家の方々を説得していったようです。それが今の三崎町の晩柑栽培につながっているのです。
生家の玄関は写真エのように一部残っていますが元の家は全くありません。裏にまわってみると、広い庭が残っています。

集会所とお寺   (松の人が集う宗教と行政の中心地)

 そこから少し登ると、松の集会所があります。普段はそれこそ人気のないところですが、敬老会の時にはとてもにぎやかなことを私は知っています。さすがは松ですな。
さらにその上にはお寺があります。屋根の上の棟飾りの瓦は、ちょいと違ってかっこいいです。
お寺の前には、半鐘台があって、さっそく登ってしまう野生児も取材班の中にはいました。
お寺の奥には墓地が続いています。普段お墓を観察する機会はないのですが、よく見ると、かわいい湯飲みや、楽しいデザインの敷石などなかなかおしゃれですな。
お墓の近くには、畑がありました。これは何を作っているのでしょうか。あやしい・・・。また、途中にはカラフルな塀のある家もありました。

五輪の塔の祠  (松の川沿いにある不思議な宗教の場)

 さらに進み、お宮の近くまでくると、周りを背の高いスギやヒノキで囲まれた何かの祠がありました。近寄ってみると祠の中には、五輪の塔がありました。また、祠の扉は、菊の浮き彫りがほどこされてあって、豪勢な感じがしました。
 その横をさらに登っていくと、用水路があって、その横に橋がありました。この川は、松の中心を流れていて、この集落にとって昔から最も大切な水源であったと考えられます。橋は細くて怖そうなので、喜んで渡っている人がいました。

T君の根城   (昨年彼はここから学校に走って通っていた!)

 その上は、再び最初車を降りた近くのお宮の上の道路です。この道路を奥に進むと正面にT君宅があります。ここに至ってもジュース等をいただきました。ありがたや×2
 But、ここでも例のU君はアイスに一人でむさぼりついていました。調査隊はさらに、この家の長男の部屋にも潜入しました。思ったよりきれいでした。うらやましいですな。きれいで広い部屋を持っていて...。

松遊園地   (松の遊びの拠点、今や老人クラブの集いの場?)

 T君宅から下って、松の中央を走っている道路に下りてきました。そしてしばらく行くと、広場のような場所に着きました。神松名地区に住んでいる人ならだいたいの人は知っている、そうこれは遊園地なのです。遊園地で遊びたい人はここに書かれているお願いをまもって下さいね。すぐに遊びモードに入ってしまう取材班でしたが、中学生の身長でのブランコの立ちのりは、けっこうスリリングでしたよ。その遊園地のそばに、松農業の拠点である農協がありました。松の人はここにも売店があるんだと、自慢していました。

松の港   (松の名前の由来<真津>のもとである立派な漁港)

 次に車道をどんどん下って、次は松の港に行きました。この港は、なかなか広く、写真のように漁船もたくさんありました。ここには普通の建物もありますが、注目してほしいのは、変な女がヤンキー座りをしている写真の船蔵です。これは自然の木をそのまま使って骨組みを作り、トタンをのせているといった簡単な造りですが、なかなか丈夫な建物になっています。その船蔵がずらりと並んでいました。また、他にもじっくりと観察すると見えてくる珍しいものもあります。このあたりには、別荘もあるといいます。

松小学校跡  (有効利用が待たれる松住民の思い出の場)

 松の港を後にして、次に行ったのがすぐ上の松小学校跡です。松小学校は、昭和52年に廃校となりました。中田教頭先生も昔、ここに勤めておられていたそうです。現在は校舎などの建物はなく、草原となっています。しかし、フェニックスや正門前に残っているものによって昔の様子がしのばれます。
 ここにある二宮金次郎の足の爪は化膿していて痛々しく、たぶん風雨もすごいんだろうけど文句も言わず、この日も頑張って本を読んでいました。それにしても、この台座の紀元2600年とは...?。
 近年老人クラブの方々が植えたという小さい桜がたくさんあります。将来はここも桜の名所となることでしょう。

宇都宮誠集の墓  (松全体を望む晩柑の父の永眠の地)

 最後に、松の集落の上にある宇都宮誠集さんのお墓に行ってみました。宇都宮誠集のお墓は、写真のように立派なソテツのある広いお墓でした。墓石の後ろの面には、誠集の業績が刻まれています。この松周辺のミカン畑が一望にできる、見晴らしの良いお墓から、今でも自分がはぐくみ育てた三崎町の晩柑栽培の営みを、見守っていてくれるような気がしました。私たちは、これをもって松の調査を終え、傾いた日に照らされた見舞崎灯台を後にして、中学校に戻ったのでした。

調査を終えて

 私たち松調査班は、松の主な場所を駆け足で調査してきました。それぞれのところについては、本当はもっと細かく調べたり、松の人へのインタビューなど、もっと深い調査もできたかも知れません。しかし、報道委員ですら、松のことについてほとんど知らない状況なので、とにかくまずは、松を見に行こうということで、この企画は進みました。結果として、松についてかなりの情報を得たと思います。この情報を元に、今後、報道委員会が松を調査するときは、ポイントを絞った調査ができると思います。皆さんも、機会があったら松に来て、その良さを味わって下さい。平成9年度の春遠足でオリエンテーリングをした3年生は、少しは松について覚えているかもしれません。あのときの感想を見ると、きれいな花をもらって喜んでいた男子生徒など、良い印象が多かったように思います。
 現在、松には、小学生以下の子どもは、小学生1名と赤ちゃんが1名いるだけだそうです。ということは、遊園地のブランコも確実にのることができるということです。だから、子どもの声の少なくなった松地区では、おそらく私たちが遊びに行くことは、歓迎されると思います。
 ただ、この報告をみて、どこでもアイスやジュースをもらえると思ったら、大間違いです。常識とエチケットを守って、二名津中学生として、見苦しい行いだけはしないように心がけましょう。なお、興味のある方は、この松調査の番外編(補足調査)として行った松八十八ヶ所調査も見てみてください。
以上で松調査隊の報告を終わります。


松調査班       

  企画・・・・・・・・・・・平成11年度 1学期 二名津中学校報道委員会

  調査班長・・・・・・・報道委員長 3年5301  松調査担当(記録,報告文作成)・2年5417
  調査アシスタント・・3年5308         調査アシスタント補助・・・・・・・・・・2年5401
  写真撮影係・・・・・1年5503         補助・助言・監修・・・・・・・・・・・・・・・Y根先生