名取の大火事と鎮火地蔵

 明治34年11月28日、名取で大火事がありました。
ほとんどの家が焼けて、焼け残ったのは50軒ほどだったそうです。死者は1名、それと馬が何頭か死んだそうです。この大火事では、海にある船や網なども焼失したといいます。

 その火事の原因は、子供の火遊びです。そのときは、風が強くて、火が菜種(なたね)の燃えかすについた時、風が吹いて火が大きくなり、大火災になったそうです。
 運悪くその火のついた家の近くに葬式をしている家があって、死人に火がついてはいけないといって別の人がかついで逃げたそうです。そして、名取中走り回って、なんとか助かった人もいれば、煙にまかれて死んでしまった人もいたそうです。多くの人の話では、おばあさんが一人亡くなったそうです。
 この火事で全焼してしまった家の人は、自分の山を他部落に売って、そのお金で家を立て直して住んだ人もいるそうです。また、この大火事の後、八幡浜の人が、家の道具が焼けてしまった人達に鍋を2つずつくれたそうです。このときの火事の様子を描いた大きな絵が名取小学校にあります。

 それから数年後に今の名取の公民館の上の所に地蔵が作られました。一番大きいのが、火よけ地蔵といって火事を防ぐ地蔵といわれています。他の地蔵は、その火事で死んだ馬や牛の供養のためにあります。それ以外のものは、不幸な人への供養のために寄進されたものと言われています。
 それから今まで、名取は大きな火事もおこらずに平和にやってきました。名取は風が強く、傾斜地に家が密集してあるために一度火事が起こると大火事になってしまいます。これからもよりいっそう火に気をつけて、火事を起こらないように気をつけていきたいと思います。 

 

  話をしてくださった人・・・名取 西谷年春(46歳)  西谷教子(42歳) 辻スミ子(70歳)
                    川名みよ子(67歳)  宮部ヨシ(91歳) 藤原雪美(38歳)
                    岡上アキ子(56歳)  阿部伝治(49歳) 川本 音市(87歳)
                    垣内庄八郎(49歳) (年齢は平成2年時)

  取材・・・・・・・・・・・・・・・・平成2年夏,4年,6年
  編集責任・・・・・・・・・・・ みか(5311)