夕涼みの話題(かわうそ)
今から七十年前のことです。場所は、川のほとりの一軒家。食生活も今のようなお米の生活でなく、自給自足の時代で主食は麦、アワ、キビ、芋を作り、麦は丸麦で何時間も水を入れながら、やわらかくなるまで炊いて食べる時代です。アワ、キビはお餅にしたり、芋とまぜてご飯にして食べました。芋はカンコロにし、からからに干し、大きい缶に入れて保存し、唯一の食糧でした。
また、カンコロは粉にして芋餅にして、蒸して食べた時代でした。家も現代的な住まいではなく、一軒の家に電燈が一箇所か二箇所しかなく、それも球だけの裸電球のうすくらい部屋です。その頃は、ランプとか油を焚いての夜の生活です。
川の近所に一軒の家がありました。昔の川は自然の川で両方から木が茂り、うっそうとした川でした。その川に住みついていたのが、かわうそです。
おじいさんの長助さん、おばあさんのオツヨさん、それに子供たちが七人いました。夜になると誰かが
「オスヨー、オスヨー」
と、おばあさんを呼ぶのです。おばあさんの名はオツヨさん。ツにならずにスになり、オスヨ、オスヨと呼ぶのです。返事をしたら化かされるので返事してはいけないと言われ、だまっておくとやめ、また、明日の夜になると、
「オスヨーオスヨー」
と呼ぶのだそうです。
夕涼みに話してくれた人は七十歳近くになる人。昔なら、おばあさんでしょうが、女の寿命八十三歳以上ではおばあちゃんです。この人が小さい頃の実話を聞き、昔は川うそが住みついていたんだなと思いました。
話をしてくださった人・・・松 宇都宮敏子(取材当時六十六歳)
取材・・・・・・・・・・・・・・・平成3年度
編集責任・・・・・・・・・・・・NH(5220)