太平洋戦争直前には、松の人口は六百人くらいだったそうです。そのうち小学生は二百ほどいて、一クラスには三十五人ぐらい児童いてとてもにぎやかでした。そのときの生活は半農半漁でした。漁も盛んで朝三時くらいからモーター船が大きな音を立てて出漁し、農家は牛、ニワトリ、ヤギ、羊などを飼い、とても活気がありました。また庄屋があり、その人は軍人でもあったそうです。
お墓を見ると、寛永、天保、文久、安政などと、とても古い年号があり、津田、徳井、近藤という家などは特に古くからあったということです。
松には松の木がとても多くあり、美しかったそうです。特に前の浜や戸板崎いうところに多くの松があり、それでこの地区のことを松というのだと思卯ほどだったそうです。今も所々に松の木が残り、そのころの様子を少しだけとどめているそうです。
今では子供も松も少なくなりました。ニワトリやヤギも飼っていないし、仕事も多くが農業をするようになりました。また、たくさんの人が都会に行ってしまい、寂しくなってしまいました。しかし、今までの風習を大切にしていきたいと思っています。
話をしてくださった人・・・松 大西 サナエ(平成四年当時四十一歳)前半
津田 イチコ(平成六年当時七十歳)後半
取材・・・・・・・・・・・・・・・平成4,6年度
編集責任・・・・・・・・・・・・平成9年入学 んzGー(5306)