源平合戦の落人(おちゅうど)
昔、二名津の沖に源平合戦がありました。その争いで亡くなった人や、まだ生きている人が、二名津の漁師の網で引き揚げられました。
そして、その戦いの死者の供養のための石碑は、平家谷というところに積み上げられました。
生き残った人は、この二名津で暮らすようになりました。
しかし、その人達の中で、あまりの苦しさに
「働くくめんよりもせんはつかわんくめん。」
と言い残した人もいました。
その他にも、その人たちはいろいろな俳句も残しました。
今ではその人達の家はなくなったものもあれば、今でも残っているものもあるそうです。
また、後に県議会議員になっつた西村兵馬という人や、大洲の裏町をおさめた菊原五郎という人も、その人達の末裔だといわれています。
そのような偉い人がその子孫からよく出てきたので、平家の落人は立派だといわれました。
今でも死者の石碑は、倒れながらも平家谷に残っているそうです。
話をしてくださった人・・・二名津 中井 フジエ(取材当時九一歳)
取材・・・・・・・・・・・・・・・・平成2年夏
編集責任・・・・・・・・・・・・ひで(5412)& くうちゃん(5308)
「二名津平家谷」現地調査報告