松の紹介
松地区の名前の由来
真津(まつ)すなわち本港の意味。松の木が、たくさんあったからとも言われる。
3地区の歴史
江戸中期から開けたと考えられている。
寛保3年、宇都宮氏が松の組頭となり、安永の頃から与侈に、移住しはじめた。
天満神社
<所在>三崎町 松 219ー3番地
<祭神>菅原神
<例祭>10月 8日
<社殿>本殿(入母屋 造瓦葺1.7坪)中殿(瓦葺4.4坪)
<拝殿>(瓦葺、12.96坪)
<工作物>鳥居2基(神明型石材)注連石1基,狛犬1対,燈篭1対
<氏子数>112戸
<由緒沿革>往古の氏神は下宮神社であったのを、永禄年間(1558〜1570)に
天満宮を創立して氏神とした。はじめは天満宮、または天満神社と
称したが、明治21年12月天満神社と改称した。
明治6年11月村社に列格。
昔の小学生
現在はすべて二名津小学校に通うが、昔は松にも小学校があった。
松小学校
<所在地>三崎町松1749番地
<校訓>あかるく やさしく こんきづよく
<沿革>
明治8年 三崎の分校として小学校を設置校舎は民家(男子44名,女子3名,教師1名)
明治19年 字横手に簡易小学校設置
明治23年 宇横手に移転
明治36年 教室増築
明治41年 校地面積120坪
明治42年 児童数の増加のため運動場を40.8坪拡張
大正08年 運動場の拡張(59.2坪)
大正14年 土地584坪を買収(校舎新築のため)
大正14年 新校舎新築 工事着工
大正14年 上棟式挙行
大正15年 新校舎で授業開始
昭和02年 校地総面積647坪
昭和03年 運動場の拡張(20坪)
昭和08年 児童数増加にともない1学級増加
昭和13年 第3次校地拡張工事始まる
昭和16年 国民学校と改称(3月1日 国民学校令を公布)
昭和20年 午後8時すぎ台風襲来,校舎倒壊 (枕崎台風)
昭和23年 新校舎落成式挙行
昭和38年 給食室完成,牛乳給食開始
昭和47年 宿直廃止にともない耐火書庫設置
昭和50年 松小学校創立百周年記念式典挙行
昭和52年 松小学校閉校
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