釜木地区の歴史
・・・ 明治になって神松名村の一部となり、三崎村との合併後は、その大字となりました。
組頭は土居氏で、組頭屋敷は現在の小学校跡だったそうです。
<所在・氏子数・例祭> 三崎町 釜木883番地, 74戸, 10月2日
<社 殿> 本殿(流造葺,間口0.2間,奥行0.2間,0.058坪),中殿(瓦,2,34坪)拝殿(瓦葺,10.07坪)
<工作物> 鳥居2基(神明型石材)狛犬1対,牛像1基,燈篭1対
<由緒沿革> 元和元年(1615)以前の創立。大宰府より勧請し、始め天満大自在天満、
又は天満宮と称したが、明治12年天満神社と改称した。
<所在地>三崎町釜木1539番地
<校訓> 正しく・やさしく・元気よく
<沿革>
明治12年 平磯浦と釜木浦を併せて釜木の共進小学校をおく。
明治20年 学区改正により釜木簡易小学校になる。
明治25年 釜木尋常小学校を設置 児童:男子35名,女子7名,平礒簡易小学校と合併
大正12年 電灯設置
昭和16年 釜木国民学校と改称
昭和22年 釜木小学校と改称,電話開通
昭和26年 校地移転、校舎落成
昭和47年 校章・校歌制定
昭和52年 釜木小学校閉校