釜木地区の紹介

 私は釜木地区に住んでいます。釜木の紹介や出来事を紹介したいと思います。
釜木は三崎町の東南部宇和海側の釜木湾の奥にある集落です。写真の左に港があり、手前の鉄筋の建物が釜木小学校後に建てられた公民館です。
 釜木は自然の美しいところで、悪質な事件もなく空気もきれいです。港のかたわらには、ビィ・ジャパンという株式会社の事務所と駐在所があります。そこでは各地からきた漁師が集まって話したりしています。
 次は、釜木の出来事です。釜木小学校は、平成五年まで建物がありました。私たちが小学校二年の時、二名津小学校の遠足で来てもらったときにはまだあったのですが、現在は公民館になっています。この公民館は、平成六年三月に建てられた。敬老会の行事、町内放送などいろいろと使われています。
***** 平成10年度作品 編集・文責 みい (5304) *****


釜木の名の由来  ・・・ カマは小湾、キは樹木を意味します。製塩のかまどの意味とも言われています。

釜木地区の歴史  ・・・ 明治になって神松名村の一部となり、三崎村との合併後は、その大字となりました。
                組頭は土居氏で、組頭屋敷は現在の小学校跡だったそうです。

天満神社  ・・・ 釜木には菅原道真を祀った天満神社があります。そこにはアコウの樹もあります。

  <所在・氏子数・例祭> 三崎町 釜木883番地, 74戸, 10月2日
  <社 殿>  本殿(流造葺,間口0.2間,奥行0.2間,0.058坪),中殿(瓦,2,34坪)拝殿(瓦葺,10.07坪)
  <工作物>  鳥居2基(神明型石材)狛犬1対,牛像1基,燈篭1対
  <由緒沿革> 元和元年(1615)以前の創立。大宰府より勧請し、始め天満大自在天満、
          又は天満宮と称したが、明治12年天満神社と改称した。

昔の小学生  ・・・ 現在はすべて二名津小学校に通っていますが、釜木にも小学校がありました。

   <所在地>三崎町釜木1539番地      <校訓> 正しく・やさしく・元気よく
   <沿革> 
    明治12年 平磯浦と釜木浦を併せて釜木の共進小学校をおく。
    明治20年 学区改正により釜木簡易小学校になる。
    明治25年 釜木尋常小学校を設置 児童:男子35名,女子7名,平礒簡易小学校と合併
    大正12年 電灯設置
    昭和16年 釜木国民学校と改称
    昭和22年 釜木小学校と改称,電話開通
    昭和26年 校地移転、校舎落成
    昭和47年 校章・校歌制定
    昭和52年 釜木小学校閉校


***** 平成8年度作品 編集・文責 孝恵さん (5009) *****