平 礒 の 紹 介     

 平礒は、三崎町の東南部、瀬戸内海側の釜木湾にある集落です。釣りの好きな人には長崎鼻のすぐ近くだといえばわかるそうです。私の住んでいるこの平礒には、お店が1軒もなくて過疎化しています。人も少なくて、一見何もない田舎です。 ちゃんとした公民館もないので、盆踊りや敬老会の時はお寺(平礒公民館と書いてある)を使っています。
何もないので、困ることも多いのですが、私は、平礒に住んでいてよかったと思うことがあります。 それは、平成11年まで火事や犯罪が1度もなくて平和だということと、とっても、静かだということです。 住んでいる人もすごくいい人だし、朝早くから、夜遅くまでよく働いています。 ちなみに、職業の多くは、みかん農家です。
平礒には学校はありません。だから、小、中学校は二名津まで通っています。一番近い高校は、三崎高校です。 小学生は、スクールバスで通っていますが、中学生と高校生は、とっても辛い自転車通学です。 とはいっても、お父さんの頃は山を越えて歩いて行ってたそうです。
かなり、不便なことも多いのですが、それなりにがんばっています。 田舎だけどそんなに悪いところではありません。
みなさん、平礒に来てみませんか?静かで、とっても落ち着きますよ。
***** 平成10年度作品 編集・文責 たきちゃん (5305) *****

平礒の由来  ・・・・ 名前はヒラ(傾斜地)のある磯の意味です。
             江戸中期に開かれました。組頭は梶原氏でした。

三社神社  ・・・・ 伊奘諾命、伊奘冊命、事解之男命を祀る神社です。
             場所は、国土地理院の地図は間違いで、集落の下にあります。

 <所在地・氏子数・例祭> 三崎町平礒534番地, 30戸, 10月5日
 <社殿>本殿(流造瓦葺,門口0.2間,奥行0.2間,0.04坪),  拝殿(瓦葺、門口3間、奥行2.5間 7.5坪)
 <工作物>鳥居2基(神明型、石材),狛犬1対,燈篭 2対
 <由緒沿革>慶応年間(1956〜1615)の創立で、部落創始より氏神として奉斎し、明治6年12月村社に列せられた。


***** 平成8年度作品 編集・文責 孝恵さん(5009) *****

平礒村を知ろう!

平礒全体の写真

 平礒は、二名津地区と釜木地区の中間にある小さな村で、上の写真のように山の斜面にへばりつくように24世帯の人家があります。
人口は80人くらいで、みかん栽培がさかんな小さな村です。今(97年度)は、小学校に通っていない幼児が6人います。
小学校や中学校へはちょうどこの山の反対側にある3Kmほど離れた二名津という地区へ通っています。高校はほとんどの人が二名津からさらに3Km離れた三崎高校へ通っています。小学校はバス通学で、中学校、高校は自転車通学です。平成10年度から、高校へはバイク通学が条件付きでみとめられるとのことです。今は、平磯から二名津への道路(通学路)は工事でたくさんのトラックが走っていて危ない道となっています。平磯から二名津への道はカ−ブが多くて、僕も何回かこけたりしました。昨年連続二日こけたという記録も持っています。

平磯の波止

 しかし、こんなに道路が悪くても、遠くから人が車でたくさん訪れてくれる場所があります。その場所の名前は゛ひらやば゛と言います。そこは、けわしい崖になっているとても危険なところで、危ないけど釣好きの人が覚悟を決めて大物を狙いに行く釣りの穴場です。
 僕も二三回行きました。クロダイ(チヌ)が掛かったけど逃げられました。釣り経験の長いおっちゃんは何匹も大物を釣っていました。平礒の海岸線には他に第二次世界対戦で使われていた無線所があります。中は床がいつ落ちるか分からない状況です。壁にはアイアイガサや[○○さん大好き〜]など書いていたり掘っていたりしています。無線機などはもう置いていないけれど、僕たち子供が秘密の基地として使用して遊ぶ重要な場所です。


***** 平成8年度作品 編集・文責 たかん(5201) *****