平成十一年度 三崎町連合中学校修学旅行の記録

 私たち三年生は9月2日から6日まで、三崎中学校、串中学校と合わせて、生徒49人、先生9人と添乗員さんの59名で、関西方面に修学旅行に行ってきました。この文章は、修学旅行後の発表会のためにみんなで作成した原稿を一部手直しして、まとめたものです。

バスや船などの交通機関について     文責 5311

 私達の松山までの行きと帰りのバスは、宇和島バスで、私達二中だけで中型バスに乗って行きました。途中、瀬戸町の風車の前で連合中学校の結団式をしました。バスの中で寝ている人や、景色を見ている人がいました。行きのバスでは、ゴジラとキングギドラのビデオを見ました。でも、私は寝ていたのでよくおぼえていません。松山観光港には予定より早くつきました。港にはコウモリがとんでいました。予定では船の中で弁当を食べることになっていましたが、バスの中で食べました。たたち君が自主的にゴミを集めました。降りて今度は、「さんふらわにしき」という大型フェリーにのりました。
船に乗るとき渡すチケットに「券片」の文字があり、何と呼ぶかもめました。結局くーこが、従業員に聞きましたが、迷惑そうに「わからない」と言われたそうです。三崎中には爪をはがして、スリッパで参加の男の子もいました。船に入ったときには、「ゆれるな。」と思いました。船の部屋には、二段ベットがならんでいて私達はそれぞれのベットの1人1人寝ることになっていました。部屋に入ってTシャツに着替えて、好きな事をしていました。その時、さとーのベットにたっこりんが入っていって2人してクスクス笑っていました。少々気持ち悪いと思いました。何をしているか聞いても、教えてくれませんでした。その後、みいのベットの壁を隣の部屋の人が、たたいてきました。「ドンドン」と、とてもうるさかったです。腹が立つのでたたき返すと、静かになりました。いったい何を考えているのでしょう。船の中は、少し暑いなと思いながら寝ました。

 京都、奈良、大阪のバスは、西武バスという大型バスで串中の生徒と一緒に旅行をしました。このバスには、元気なバスガイドさんがいて、いろいろ説明もしてくれましたが、旅行中は寝ていたり、景色をボーと見ていたりする人もいました。多くの時間は、皆好きな事をしていました。バスガイドさんは、クイズをしたり、スケッチを描かせたり、音楽をかけてくれたりしてくれました。

大 阪 城  文責 5302

 2日目、大阪港に着いた僕たちは、最初の見学地である大阪城にいきました。大阪城の入口には、大きな石がありました。大きさは、教室ぐらいです。これは、昔、豊臣秀吉が瀬戸内海を通って運ばせました。たこ石とかゆう名前がついているらしいです。それは、石のすみにタコの模様みたいなものがあるからだそうです。
 さらに進んでいくと、鳩がものすごくたくさんいました。とても驚きました。みんな頑張って生きていると思いました。梶原くんが「白い鳩はたべるとおいしいよ。」と、いったので、捕まえようと思ったら、逃げられてしまいました。とても、残念でした。すばやいSさんは捕まえたそうです。
 なんと、この日、9月3日は、ドラえもんの誕生日でした。ちょうど食事をしたところにドラえもんの御輿があったので、僕たちは嬉しくなってそこで記念写真をとらしてもらいました。とても、感動しました。
 大阪城内に入っていくと、中は、とても新しくてきれいでした。大阪城の歴史に関する歴史の展示物や映像を見学しましたが、呪われた刀や鎧など不気味なものも沢山ありました。とても怖かったです。最上階まで上がっていくと、大阪全体を眺めることが出来ます。かなり高いので、飛び降りたら死んでしまうと思いました。その景色は三崎とは、大違いだと思いました。

法隆寺について    文責 5304

 大阪城を出発した私達は、次に、バスで、奈良の法隆寺に向いました。
 法隆寺は、奈良の古い都があった斑鳩という所にあります。世界で最古の飛鳥時代の木造建築でもあり、その建築物はもちろん仏像なども国宝となっているものがたくさんあります。だから、ここは世界遺産となっている日本の誇る寺なのです。ここで、全員で記念写真を撮りました。実際にみてみると、やはりとっても建物が古かったです。法隆寺の五重搭は高く、一つの屋根の下に風だくという鈴がついていました。 五重塔は、お釈迦様の骨を入れるお墓のようなもので、ここの五重塔は仏教寺院の中で、最も重要な建物とされています。高さは31.5メートルで、わが国最古の五重搭としても知られています。
 金堂、中門という建物もありました。ここは、聖徳太子と奈良の歴史が、つまっています。その他に夢殿という建物があって、そこで、お釈迦様が死んで、みなが悲しんでる所を描いたたくさんの像を見ました。
 法隆寺の庭には、鏡池というところがあって、そこで、愛媛の俳人である正岡子規が「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という俳句をつくったのだそうです。他にも法隆寺は薬師如来像が有名です。これは用明天皇が自分の病気回復を祈って作ろうとしたけれど出来ず、推古天皇と聖徳太子がその遺志を継いで薬師如来を作らせたものだそうです。それは、聖霊院という建物の中にありました。ここでのみんなの様子は写真を撮ったりして、勉強になったと思います。そしてその後、私たちは現在の奈良の中心にある奈良公園に向かいました。

奈良公園駆け抜け!  文責 5303

 奈良の中心である東大寺、興福寺、春日大社のあたりを奈良公園といいます。僕達は、まず春日大社の下の便所の前に集合しました。そこには渡部さんという案内人が僕達を待っていてくれました。まず、この案内人は、皆をトイレに無理やりいかそうとしていました。この案内人は、しゃべるのがとてもはやくて、僕には何を言っているのか、あまり分かりませんでした。後で聞いたところでは、金閣を見る時間を確保するために奈良公園を軽快な案内で一気に駆け抜けたのでした。でも春日大社は拝めず、二月堂にも大鐘にも近寄れず、東大寺の柱の穴には、おばちゃんが引っかかっていてだれも通れませんでした。でも、東大寺大仏殿と大仏の大きさには、みんな感動していました。
 奈良公園にはたくさんの放し飼いの鹿がいます。そしていろんなところで鹿用の鹿せんべいを売っています。僕は鹿がおいしそうに食べるので、ちょっと鹿せんべいを、食べてみました。ちょっと甘くてさっぱりした味で、とてもおいしかったです。でも、よい子の皆さんは真似しないでくださいね。とくにかずちゃん!。ぼくは、こんなおいしい鹿せんべいを毎日食べられるのだったら、ここに居て鹿とせんべいの取り合いをする生活もいいなと思いました。それから、鹿の肉が入った、鹿鍋を食べました。というのは嘘で、鹿鍋はとてもおいしいらしいのですが、奈良では鹿は神の使いなので、大事にされています。だから昔は、鹿を殺すと処刑されていたらしいです。奈良公園が奈良の見学の最後でした。僕たちは次は京都にむかいました。

間一髪の金閣寺   文責 5312

 奈良公園の東大寺の見学が終わると奈良ともお別れです。私達はバスに乗って、国道24号線を通り、京都に向かいました。途中パラパラと雨がふったりして、天気が心配でした。1時間ぐらいかかって、やっと金閣寺に着きました。
 金閣寺の本当の名前は鹿苑寺金閣といい鹿苑寺というお寺の1つの建物なのです。見学場所にも「これは金閣寺ではありません金閣です。」としつこく書いてありました。私達はどちらでもよいような気もしますが、お寺の立場からすると、名前は正確につかってほしいということでしょう。
 私達は駐車場でバスを降り、そこから歩いて金閣まで行きました。ついた時に突然の雷が鳴って、ひやりとしました。金閣の周りには、たくさんの自然があって、金閣は広い池の左奥のほうに建てられていました。中央に松が植えられていました。池の中には、アメンボが泳いでいました。金閣の一階は木造で、2階と3階は、金箔がはられていました。中には入れなかったけど、みんなそれぞれ、写真を撮ったりして、楽しめていたと思います。
 見学の途中にも雷が鳴っていたので、急いで見学をしました。そして金閣からバスに戻ったとほぼ同時に、どしゃぶりの雨が降り出しました。みんなは急いでバスに乗り込みましたが、しっかりとおみやげ売場でお買い物をじっくりとしている人がいました。それは、みいとみやかとさとーでした。早くバスに戻っていて、まったくぬれていない人もいたけど、まさに間一髪でした。でもそのおかげで、あつい京都も涼しくなったのでした。
 修学旅行二日目9月3日の日程はこれで終わりです。その後、ホテルに入りましたが、ホテルについてからもさまざまなことがありました。2泊したホテルの生活やエピソードについてこの後に報告してもらいます。

ホテルはもうたいへん!  文責 5308

 私たちは、京都市内のほぼ中心部、牛若丸と弁慶が戦ったとされる五条橋の近くの、ホテル不二屋に二泊しました。男子は3人で201号室、女子は5人ずつで、302号室と303号室の2部屋に別れて泊まりました。その3つの部屋の主な出来事を中心に別々に報告します。

303号室  「AS A PARSON」を歌う女出現
テレビ朝日のミュージックステーションをみていたとき、華原朋美が唄う「AS A PARSON」を共に熱唱した人がいました。手マイクでなりきり朋ちゃんだったそうです。観客となってしまった残りの4人のGIRLSは、彼女の異様なノリとそのハイテンションさで、彼女の意外な素顔に驚きと寒さを感じたそうです。

302号室夜はお化けがいっぱい
その日は一日自由研修があった日なので早く寝ました。しんと寝静まっていた「ホテル不二家」の涼しい夜。そのホテルの中でちょっとしたなくしものがあったため、少し遅くまで電気をつけていた302号室。先生の指示でなくしものは諦め、電気を消して、5人の女の子は眠りにつきました。しかしその5分後、眠ったはずのタッキーは寒いと言うことで、エアコンのスイッチを切りに懐中電灯を照らしました。それがお化け屋敷の始まりだったのです。
タッキーお化け出現。その日は映画村のお化け屋敷で異様な怖がりようを見せたと言うのに。
貞子お化け出現。一見とてもクールな貞子。しかし、とてもはじけていた。ウルトラママお化け出現。彼女は何を見ても怖がらない。とてもナイスな変人。
  3人とも白目をしたり、懐中電灯を下から照らしたりとかなり暑い夜でした。眠っていたはずの桜と翼も起きてただ純粋に3人のお化けに心ひかれ共にお化けの仲間入りをはたしました。その時桜お化けは天井にいた本物のお化けにきづき、ウルトラママお化けは大爆笑、貞子お化けは「気持ち悪い」と眉間にしわをよせ、タッキーお化けと桜お化けと翼お化けはあまりの怖さに布団の仲に隠れてしまいました。(桜お化けは翼お化けの布団に入っていきました。)5人のお化けが見た、その髪が長く汚い巨大な女の人は、一体何だったのでしょうか。

201号室  ぐるぐる巻き
毎日のように部屋で体操をしている二名津のT君が、布団で巻かれました。これは、枕投げとともに昔から伝わる修学旅行のホテルでの2大行事の一つで、布団虫というものだそうです。今ではいじめの一つと思われているので良い子の皆さんはしないように。ここの男子は、湯のみの中で謎の物体を作ったりして、静かなそしてマニアックな遊びをしていたということです。

<K二君のファン現る?>
 1泊目の夜、ホテルに2人の小さな京都の女の子がやってきた。聞くと、なんとかじこくんに会いたいのでに来たファンだという。そしてかじこくんは、その彼女たちとともに京都タワーにいったのでした。
かじこくん談。「モテる僕には京都の夜景がよく似合う・・・」
この他にも楽しいエピソードがありましたが、それは個人的に聞いて下さい。世話になった「ホテル不二家」さん、2日間ありがとうございました。次は、この修学旅行のメインである班別研修の報告です。

 3日目、9月4日の朝は、不安な小雨模様。でも、この残暑の季節に風もないこのような天気は、道をぬらし、しっとりとした京都の風情を味わう絶好の天気ともいえます。午後からは晴れ間も広がり、結局カサを使うほどのことはありませんでした。早朝に清水寺に行った班は、いつもごったがす音羽の滝にもほとんど客もありませんでした。他校の生徒は、前の日寝てなくてダウンした人や、ホテルに時間までになかなかたどり着けない班もあったけど、二中はほとんどトラブルもなく順調でした。
 とはいっても、途中で喧嘩して一時無言の旅行となった班、新京極で危ないお兄さんに引っ張られて、アクセサリーを買わされた班、歩いているうちに一つ先の目的地にきてしまって予定を変更した班、もうとにかく聞きまくって自分たちの活路を見いだし、最後はタクシーで帰ってきたた班、見ず知らずの人の携帯電話をただ借りして連絡した班など、こまかい事件はあったので、班別に具体的に報告します。

キャッチセールにご用心! 1班     文責 5301

 9月4日、修学旅行の3日目は京都を自分たちで計画して班別に見学する班別研修でした。二名津中は4つの班に分かれ、それぞれ計画を立ててこの日の活動にのぞみました。  僕達の男性3名の班は、清水寺から八坂神社を通り智恩院までの京都の東山と言われる所に行ってから、三十三間堂を観て、新京極でお買いものをするという計画で、午前8時過ぎにホテルを出発しました。
 清水寺にいくには、五条坂を登りました。五条坂を登りきるには、とても体力が必要でした。清水寺につくと、二百円の入場料を払って、入って行きました。それから、おとわの滝の水を飲み、八坂神社へ向かいましたました。しかし、八坂神社へ行く道が分からなくて、清水寺に戻ってしまいました。そこで僕達は、カメラの電池を買うために、お店に入っていくと、お店のお姉さんが、雄丼君に、千五百円のネックレスを買ったら、もう一個タダであげるから、と言いました。雄丼君は、断ることができず。買っていました。さすが、お姉さんに弱い雄丼君ダと思いました。まだ、八坂神社へ行く道が分からなくて、清水寺のまわりを歩いていると、川名音次郎校長先生が、案内してくれると言いました。そして、僕達は、三年坂と二年坂を通り、八坂神社へ行きました。それから、知恩院などをまわったあと川名音次郎校長先生に、三十三間堂へいく道を教えてもらい、僕達だけで三十三間堂へ向かいました。しかし、僕達は反対の方向に行ってしまい、また迷ってしまいました。しょうがないので、僕達は適当に歩いて行きました。それから、僕達は三十分ぐらい歩いていたら、新京極の入口に来てしまいました。しかたがないので僕達は、先に新京極でお買い物をすることにしました。
 まず僕達は、お昼ご飯を食べることにしました。そして、やっと見つけた喫茶店に入り、そこでたたち君はビーフカレー、雄丼君はカツカレーを注文しました。二人とも、「おいしいーボンゴ」と言っていました。みんなおなかが一杯になったので、お買い物に行くために道を歩いていると、カッコイイお兄さんが声をかけてきました。ぼくは無視して歩いていたけど、雄丼君はまた捕まってしまいました。結局Y本君は、ここでも、二千円のブレスレットを、買ってしまいました。さらにその間、弱気なたたち君も、マクドナルドのクーポン券を、お兄さんに取られていました。
 こんなお買い物が終わると、僕達は三十三間堂へむかいました。そして三十三間堂の中を、ぐるっと回りながら仏像を見て、ホテルに帰りました。
 次の日、エキスポランドのお店で、Y本君が買わされのと同じブレスレットが百円、清水寺の近くで買ったネックレスが一個五百円で売られていて、雄丼君はショックを受けていました。これから修学旅行に行く人は、雄丼君のこの貴重な体験を教訓にして、うまくお買いものをしてください。
この後は残りの女子の3つの班にも報告してもらいます。

しっかり歩いた1日    文責 5313

 私とくーとあいっぺの班は、1ドラマ‘あきまへんで’のラストシ−ンの舞台となった嵐山に行き、清水寺、新京極の順番で班別研修を行ないました。
その1 嵐山
 嵐山へは、地下鉄やバスで30分くらいかけていきました。そしてそこでは、まずジャニーズショップから行きました。行く途中どっかの店の強引なおばちゃんがお茶を進めるんです。これがしつこくて、うるさいんです。だからしかたなく飲んだ・・・というより飲まされてしまいました。まぁまずかったから、買わなかったです。そしてそこで何も買わないのは悪いので、抹茶ソフトクリームとオレンジシャーベットとメロンフロ−ズンを食べました。そういうパターンになってしまい、まんまとはめられました。そしてジャニ−ズショップに行き、次に渡月橋にいきました。渡月橋の辺りの景色はすごく奇麗で、本当に全くもって絵になる所でした。予定ではそこで船に乗ることにしていましたが、船乗り場の人に「初めてだからー、雨が降ってるからー」とか言われて遠まわしに断られてしまいました。たぶん私達がどんくさそうなのを見やぶられたのかもしれません。その後、【美空ひばり館】に入りたがる女もいたけど無視して、次に行きました。
その2 清水寺
 清水寺へ行くための五条坂がとても長く大変でした。寺はとても広く、自分の目で見るとやっぱり迫力がありました。「音羽の滝」もやっぱり行列で飲めませんでした。
その3 新京極
 新京極には少ししかいませんでした。おみやげをみてまわりました。そして予定の4:30より7分遅れてホテルへ帰りました。でもM中には20分以上遅れてきた班もあるし、なんとK中の班は京都駅付近で迷い、1時間以上も遅れてみんなに迷惑をかけて、しかられていたようです。これから修学旅行に行くみなさんは、しっかり計画をして他の人に迷惑をかけないようにしましょう。私達の班は、一日中歩きまわり、いい感じに終わりました。

パディオスで大騒ぎ! 3班    文責 5310

私達3班は、あさ仏、へちま、私の3人でした。そして、清水寺、三十三間堂、広隆寺、映画村とその中に新しくできたパディオス、そして新京極に行きました。 初めに、清水寺に行きました。予定では、本堂に行き、清水の舞台から京都を眺め、そこから下がって、飲むときれいになるという音羽の滝の水を飲むことにしていました。でも清水寺に行ってみると、迷ってしまい、有名な清水の舞台には行けず、水も飲めせんでした。本堂には行かなかったけど、おみくじは買いました。礼子さんと亜沙美さんは凶、私は吉で、へちまとあさ仏は、あまりよくありませんでした。
次に三十三間堂へ行きました。ここには、たくさんのハトがいました。近所の店の人が、10分くらいだから歩いて行くように進めたので歩きましたが、20分くらいかかってしまいました。三十三間堂は、予想していたより長い建物でとても驚きました。中には、ずらっと千手観音の像があって、とてもすごかったです。ここでもおみくじを買いました。やぱり3人ともあまりよくありませんでした。
三十三間堂を出て、バスと電車を乗り継ぎ広隆寺に向かいました。先生に連絡をする時間になっていたので、バスの中で、あさ仏さんがそばにいた女の人に携帯電話をかりて、連絡しました。電話代を払うのは忘れていたのですが、お礼はちゃんと言ってかえしました。京都の人はとても親切です。広隆寺では、1番目の国宝として有名な弥勒菩薩をみましたが、あまり印象に残りませんでした。でも、ここにもたくさんのハトがいました。京都は、とてもハトが多いところです。
次は最も期待していた、映画村のパディオスという建物に行きました。人が乗れるほどのフライパンのある巨大なキッチンなど、パディオスの中にはいろいろな楽しい施設があります。私達はまず初めに、お化け屋敷に入りました。初めは怖くなかったけど、待っているうちにだんだん怖くなってきました。入ってみると、大きな音がしたり、怖いお化けがたくさん出てきました。初めのお化けがでたとたん、3人は走りだしました。私とあさ仏は「キャー」を連発していて、隣にいたへちまは、ひどくおびえている私達に驚いていました。お化け屋敷を出て映画村を見学した後、新京極へと向かいました。
バスを降りて、新京極へ行く道がわからなかったので、女子高生に聞いてみました。すると、連れていってくれました。このとき、京都の人はほんとうにやさしいんだということがわかりました。ここでは、たくさん買いものをし、プリクラも撮りました。
この一日無事帰れて、楽しかったし、いい思い出ができたと思います。

旅行中のけんかはいやよ! 4班     文責 5305

 私達の班は、私とみやかとみいとさとーの4人です。私達は、まず清水寺にむかいました。そこでみやかは、おみくじをひきました。すると、凶がでました。キレたみやかさんは嫌がる私にムリヤリおみくじをひかせました。私は日頃のおこないがいいのか、大吉でした。そして、とってもハッピーな気分なので、写真でも撮ろっかなーと思っていると、神奈川県から来たと言う方々に写真を撮ってもらいました。さらに、「一緒に撮ろう」と言われ、一緒に撮りました。その後、代表者の住所を聞かれ、誰にするか迷い迷いましたが、結局担任の先生の住所を教えました。
その後、未練タラタラのみやかは、音羽の滝のところで再びおみくじをひきました。それにつられてみいandさとーもおみくじをひきました。結果は、3人そろって吉。やはり、私にかなう者はいいませんでした。そして、その後は、バスに乗り遅れたり、バスを間違えたり、最初っからハプニングばっかり。大吉の班長の私がいるはずなのになぜだああああ??
 けれども私達、最強班長一同は、次の見学地である西本願寺につきました。そこで、お茶好きの最強班長の私とさとーはお茶がないので、悲しんでいました。なので、ジュースを飲み復活しました。その後、時間が遅れていたので、東寺をとばして、映画村に行きました。そこで、おなかがすくと、機嫌がわるくなるという性質の私は、「なんでここにきたん?」と、爆弾発言!!!!。その言葉にキレたみやかは、みいと共にどっかに行ってしまいました。しかし、個人主義の私は、そんなこと気にせず、さとーをさそってプリクラをとりました。しっかーし、さすがの私andさとーもあせりだします。そして、やっとこさもとのところに帰ってきた、みやかさんとみいをつれて、昼ご飯を食べに行きました。そこで、なんとかイイ感じに戻ったのでした。食べ物に弱いわたしたちでした。昼食の後、つぶつぶアイスを食べて、もういっかなあと思っていると、ゲーセンを発見したのです。みやかさんは、UFOキャッチャーにとびつきました。そして、さとーまで、「カワイイ」と言って、UFOキャッチャーに夢中になってしまったのです。その姿を心配そうに見つめるみいさん。みやかに「そのぬいぐるみ、とったら私にもくれるよな?」と、おどす私。みやかは、そんな私をムシしていました。結局、2人ともぬいぐるみをとることができないまま、映画村を去ったのでした。
 そして、そして、最後に新京極に行きました。そこで、さとーは、どうしても買わなくてはいけないCDがあったため、CDショップをさがしました。1軒目、ダメ。2軒目は、私がCDショップだと思ってはいってみると、そこはアニメ・ショップでした。。そこで、みやか、さとー、みいは、マンガをかいました。私は、店内をウロウロしているだけでした。3人の買いものが終わり、再びCDショップを探しました。3軒目、ダメ。4軒目、ダメ。そして、ついに5軒目で見つけました。長かったCD探しは終わったのでした。
そしていよいよ、ホテルに帰るというときになって、悲劇はおこったのでした。私のミスで、ホテルとは別方向のバスにのってしまったのです。もう、どうすることもできなくなってしまい、結局は、京都のとある人のアドバイスで、タクシーに乗って帰ったのでした。そして、予定時刻には、セーフでした。まあとりあえず、無事でよかったです。計画は、ちゃんとたてんといけんなあ...と思いました。

 

なんばグランド花月について    文責 5307

 4日目の一番最初は、「なんばグランド花月」へ、吉本の漫才と吉本新喜劇を見に行きました。館内に入る前、私達が道路で待っている時、私がふと顔をあげると、ワカメちゃんスカートを身に付けた、とてもとても足のきれいな人がいました。しばらくその足を眺め、顔を見てみると、おじさんでした・・・。
 三崎町連合は、二階席に座るようになっていて、私達は頑張って、一番前の席に座ることができました。
 まず初めに、約10組の漫才師達が多種多用な漫才を繰り広げました。その中には、ちょっと有名な「オール阪神・巨人」や、「ちゃらんぽらん」などもでていました。さすがにプロともなれば、ふたりのコンビネーションや、お客さんののりもよく、感心した部分もありました。しかし、途中で眠りについた人もいたようです。
 吉本新喜劇には、「たまちゃん」こと島田珠代さんや、吉田ヒロさん、チャーリー浜さんなど、おなじみの顔ぶれが登場していました。テレビで見るのと、そう変わりありませんでしたが、生で見れて、ちょっとうれしかったです。
お・ま・け
      お笑いの間には様々な芸人も出演しました。その中で、妖しげな二人のフランスからはるばる日本へやってきてくれたすばらしいマッチョには、大喜びしながら写真に撮っていた人もいました。
 なんばグランド花月を出たら、今度は1970年に大阪万国博覧会があった場所にある、エキスポランドという遊園地に向かいました。

EXPO LAND    文責 5306

 私は、4日目、2番目に行ったエキスポランドについて紹介しちゃいますう。まず始めに、フリーパス券についてご紹介。沢山乗り物に乗るつもりの人には、フリーパス巻をお勧めします。本当は2750円だったのだけど、団体サービスで2200円でフリーパスが購入できました。最初は「もう少し安くしてくれてもいいじゃないのさ!」と思っていたけど、よく考えてみると私が乗った乗り物の金額を合計すると、約5000円ぐらいだったのでしっかりと「もと」はとれて一安心。あまり乗り物に乗らない人には割引券があります。ここで突然「あやこの面白かったランキングー」
 1位 おろち
 これは、足が宙ぶらりんで吊された状態の絶叫マシーン。写真を撮ってくれる場所があります。しかし、みんなオールバックだしはっきり言って不細工でした。人気があったので、一回しか乗れなくて残念でした。
 2位 風人雷人
 この乗りものは、立ち乗りコースターです。関西ジュニアのすばるが乗ったことがあるそうです。
 3位 急流滑べり
 この乗り物は絶叫マシーンではないのですが、時速60kmの速さで水の中に突っ込む乗りものです。乗り終わり、出口の通路(橋)を渡っていると次に出発したコースターがやって来て、一生懸命走って逃げたのですが間に合わずコースターに乗っていたときよりも大量の水をかぶってしまいました。そのせいで、まだ「ビチッ」っときまっていた髪は、再起不能に陥りカッターは透けて下着が見えるし、なによりただでさえ長くて「くそ重たい」スカートが、水を吸って8倍ぐらい重くなってしまいました。次の乗り物のところへ行くのも滴をたれ流しでした。
 他にもおもしろい乗り物がたくさんありました。「バイオハザード」というお化け屋敷は、ゲームに出てくるゾンビや、人が出て来ます。別料金で800円とちょっと高かったけど、主役になりきった男前のお兄さんと何回も同じことを言い声がかれてしまったおねいさんが見ものかも・・。
 列に並んでいる人達は、カップルばかりで屋敷に入る前からむなしさが私を襲い「私は本当にここに居て良いものなのか」と真剣に考えさせられたものでした。部屋は、迷路っぽくしかも暗いのです。そのうえ部屋を回っていると、ゾンビが私達を追いかけまわすのです。私はk子と一緒に入ったらk子のやかましいこと、やかましいこと、そしてうるさいこと、声の高さは、「よー声出るなー」とマライヤもびっくりするぐらいなほどで、意味無く叫んだかと思うと、突然私の腕をつかみ壁に押しつけたり、ひこずりまわすのです。ゾンビよりもk子が私に何をするのかの方が恐ろしくて怖かったです。屋敷から出たときは、私は傷だらけで、精神的にも疲れていました。遊んでいた時間はとても短かったけど、でもとってもおもしろかったです。

海 遊 館 に つ い て     文責 5309

 私たちは、エキスポランドで楽しく遊んだ後は、修学旅行最後の見学地である海遊館にいきました。海遊館とは大阪にある水族館で、館内はとても広く見たことのない海や川、かわいい生きものでいっぱいでした。
特に、ハリセンボンという魚が印象にのこりました。これはフグのような魚ですが、目がクリクリしていて、体から針がでていて、まさに名前の通りでした。また、ペンギンやイルカは近くで生の姿が見れてうれしかったです。ここにはムードのある水そうが次々とあります。まだまだおもしろい魚やカニやクラゲなどがたくさんいて、生きものにあまり興味がない人も、楽しめると思います。
 また、海遊館のよこには、マーケットプレースというたてものがあって、私たちはそこで自由に夕食をとりました。自分たちの選んだ店で、好きなものを食べました。例えば、T君はスペシャルビーフカレー、そしてY君はエビピラフに大盛りポテトを食べていました。そこでY君が、エビピラフをカイロウピラフとよんだのは有名な話です。私たちは、夕食なのにケ−キを食べました。他の女の子はスパゲティを食べた人が多かったようです。久美子さんのグループは面会にきた人に全部おごってもらっていろいろ食べた上にケーキをむりやり食べてさらに、集合前にソフトクリームまで食べていました。また、いろいろな店もあり買い物も楽しめるので、大阪にいく機会があれば、そこへ行ってみてください。

帰りの船などの交通機関について     文責 5311

 バスのドライバーが港を間違えて、ちょっと時間はかかりましたが、大阪の夜景を眺めながらドライブして、大阪南港に無事着きました。さっそく船に乗り込みました。私は、フェリーの窓から、遠ざかっていく大阪から神戸の夜景に見とれていました。特に、大阪港の巨大でカラフルな観覧車は、とても奇麗だなあと思いました。船は、冷房がよく利いて、少し寒すぎだと思いました。
 最終日の早朝、船から久しぶりにかすみたなびく高縄半島が見え、愛媛に帰って来たという実感がわきました。起床時間がとても早かったので、松山から帰るバスの中では、寝ている人もいました。途中、松山市の余戸のローズハウスでバイキングの朝食をとって、そこで解団式をしました。それからバスに乗り、「バットマン・リターン」を観ながら帰路につきました。他校では少し忘れ物等があったけれど、本校は全くトラブルもなく、みんな元気で楽しく旅行を終えることができました。私はバスや船はもういいかげんうんざりだな・・・・と思いました。