松八十八ヶ所を探せ! 二名津中学校報道委員会 松探険特別企画

 四国の八十八カ所巡りは有名ですが、地区の中にミニ八十八カ所をつくって巡礼することは、昔はこのあたりの各地で見られたそうです。中学校前の大師堂を起点とする二名津の八十八カ所は今でも活動しているのは知っての通りです。松にもこのミニ八十八カ所があったそうです。報道委員会では、その松の八十八カ所が、今はその場所さえ定かではなく、原生林に覆われて人類をよせつけない秘境となっているという情報をつかみましたので、調査することとしました。みんなで行こうと呼びかけましたが、あまりの困難さに多くの人は、おじけずいてしまいました。結局、委員長の僕とカメラ係のU君とY先生の強力3人組で調査に向かうことになりました。
平成11年6月14日 朝8時

 二名津中学校に集合。松に向かいました。松の八十八ヶ所は、港から松の東尾根に沿ってガラン山を標高370mあたりまで登り、松の集落の上をまわって松の西尾根を下って、松のお寺まで歩く道のことです。二名津の八十八ヶ所と比べると高さは約二倍、距離も二倍以上?あるハードなコースです。それでも道が良ければ、一時間ほどで回れるかも知れません。しかし、何年も回る人もなく、道は荒れ放題だと言うので無事コースを回れるかどうかも心配です。

 松の港のすみに倉庫のような建物があって、そこに八十八カ所の1番があります。僕達は、いよいよそこから出発です。2番への道は、いきなり背丈以上の草がぼーぼーで、道になっていません。僕達は、そこをかき分けながら一歩一歩進んで行きました。しかし、もとからあった道は見つからず、上の道路に出てしまいました。
 あまりのヤブの深さに、二番はあきらめ、みかん畑を通って3番4番へ向かうことにしました。ここは、港の上の山で、エビス様が祀ってありました。5,6,7番まで順調にだどり、ほっとしていると、大草原に出ました。そこを横切らなければ行けません。草は多く、からみつくクズのつるをかき分けながら、やっとの思いでそこから抜け出すことができました。
 8,9,10番までたどりついて左をみると、海がみえます。しかもヤブがひどくて通れません。しかたなく、道路をまわっていく事にしました。
 みかん畑の中の尾根道を歩くと、岬の先に出ました。そこは、林になっていて、11番〜19番まで見つけることができました。ここでひきかえして、こんどはガラン山に向かって登っていくことになります。その途中に20番〜23番まではあります。
 明神からの道路を横切り、さらに人家のある山道を登っていくと、石碑がありましたが、これは八十八ヶ所とは関係ないようです。そして、松の上を通る道路にでます。ここには24番があり、少し道路を下って山道を登っていきます。
 ここで、畑にいたおばちゃんに声をかけられました。「あんたら、どこにいきよるが。」そこで、おばあちゃんに松の八十八ヶ所をまわっていることを説明しました。すると、上の方はとても道が悪くなっていて、歩いていける状態じゃないことと、ハメがいるかもしれない、という事を教えてくれました。それでも、あきらめそうにない僕達に、だいたいの道を教えてくれました。さらに僕達を励ますために、ミカンを一つずつくれました。そしてカマを貸してあげようかといわれましたが、僕達は小さなのこぎりを持っていたので、丁重にお断りしました。  僕達は、25番を往復した後、26番、27番の前でもらったミカンを食べて元気をとりもどし、再び登りはじめました。しばらく歩くと、野生のクリが落ちていましたが、イガだけで実は入っていませんでした。28番〜31番を確認しながら少し登ると、舗装道路に出ました。この車道沿いに、32番〜35番まであります。この道路の行き止まりから山道を少し登ると36番があり、さらに登ると明神の泊へと下る峠に着きました。
 この峠から尾根伝いに少し下ると、37,38番があり、そこから引き返して、再びガラン山を尾根伝いに登っていきます。途中、草原なので二名津をながめられるところがあって、そこからミカン畑の横の道をなんとか登って行きました。すると、テレビ塔が立っていました。ここにある、44番を過ぎて少し行くと、松の八十八ヶ所巡りの中で最も困難と言われている、通称「イバラの原」に出ます。ここは、背丈以上のススキの原にグズがからみついて歩きにくいだけではなく、イバラだらけです。そして、少しでも歩くと、体じゅうにとげがささります。私たち調査班は、大変いたい思いをして、襲いかかるイバラとクズを払いながら、一歩一歩進んで行きました。
 そしてイバラの原の終点である杉の林にやっとたどり着きました。ここからは少し歩きやすくなりますが、ところどころにイバラのトンネルがあって、これと格闘しながら少しずつ進んでいきました。

 そこを45番〜48番とたどりながらしばらく歩き、49番を過ぎると、ガラン山の中腹を走る道路に出ました。その道路を横切り、再び尾根道に沿って登っていく。50番、51番をチェックして、登り切ると、急に開けた場所に出ました。そこからは、二名津がよく見えます。
 ここは、昨年の夏の大雨によって、明神を襲った土砂崩れのあった場所の真上なのです。だから、その修復工事のためにガランの上からここまで道が切り開かれていました。写真Vの下が崩れた場所の真上で、ここからワイヤーが下に向けて張られています。身を乗り出してみると土砂崩れの跡とその真下に明神の集落が見えます。
 切り開かれた道に沿って登ると52番のお堂があります。ここは、旧松〜三崎道との、交差点となっていて、昔の松の人はここを通って三崎高校に通ったりしたということです。お堂は今は壊れていました。
 このお堂からは、松に向けて少し下りますが、道が滑べりやすくなっていて、僕も何度かこけました。53番〜56番まで下り、こんどはガラン山の中腹を歩きます。道も分かりにくいのですが、ところどころに銀色のテープの印があるので、迷う事なく57番〜62番までチェックしました。
 そして、63番で一度谷に下り64番〜68番まで松の西尾根沿いに下っていきます。途中でシイタケをつくっているところや、お地蔵さんもありました。松の中腹の車道を横切り、さらに69番〜76番までミカン畑の間を下っていくと、やがて松の集落の最上部にあるT君の家の前に出ました。 そして、人家の間にある、77、78番を通りますが、再び手前の小さな山に登ります。 ここも、草がぼーぼーで、足元が分かりにくかったので、U君は転んでしまいました。  小さな山の頂上付近の81番を過ぎると、そのまままっすぐに下り、道路に出ました。そして、松の集落を通って、お寺まで行きましたが、83、84番しか見つけることができませんでした。私たち調査班は、そこでほとんど力つき、今回の調査はこれまでにしようということになりました。

 松八十八ヶ所の取材が終ったのは、お昼の12時を過ぎていました。結局、4時間近く山を歩いていた事になります。ハメはでませんでしたが、食料の補給は途中でもらったミカンだけでした。最後には歩き疲れて、3人はしゃべる元気もない状態となってしまいました。
 しかし、昔の松の人は、この長い道のりを定期的に巡っていたわけです。どんなことを考えて巡っていたのでしょう。今の松の人はこの道を巡ることはなくなりましたが、毎月お寺に集まって拝んでいると聞きました。
 今回の調査では、2番と45番と82,85,86,87番を見つけることができませんでした。山根先生は、イバラの原の中にあるという45番を見つけた人には、賞品を出すと言っていました。
 今度、松を調査する機会があったら、そんなことなどふくめてさらに掘り下げても取材してみたいと思っています。

−完−


      「松の八十八カ所を探せ」制作関係者  企画立案・・・・・・・・・・・・・・・三崎町立二名津中学校 報道委員会(平成11年度一学期)
 全体指揮,文責・・・・・・・・・・報道委員長 三年 5301
 デジカメによる写真撮影・・・・報道委員会機械部 一年 5503
 補助・助言・監修・・・・・・・・・・報道委員会担当 山根先生
 協力(助言・食糧補給)・・・・・ 松のおばちゃん

                 用語の解説

エビス様 ・・・ 七福神の一人で、一般的には商売繁盛の神様として有名。
       釣りざおと鯛を持ち、豊漁の神として港の近くにまつられていることが多い。

クズ ・・・・・・・ 道ばたにもよくあるつるになってのびるマメ科の草その根は大
       きくなり、良質のデンプンがとれる。秋の七草の一つ。

ハメ ・・・・・・・ 日本にいる毒へびであるマムシのことで、昨年、T君のじい
       ちゃんがかまれて入院した。ガラン山には多いという。

イバラ ・・・・・ 日当たりのよい山などに生えるトゲのあるバラ科の草のこと。
       野いちごもこの仲間。十字架のキリストも頭にかぶっている。

明神の土砂崩れ ・・ 平成10年8月の大雨で明神で起こった大規模な土砂崩れの
           ことで、多くの家屋を壊し、犠牲者も出た。現在修復工事中。

銀色のテープ ・・・ 数年前、松の八十八カ所を調べた人が目印のためにつけた銀色の
          テープで、まだ各所に残っている。