校 訓

あかるく やさしく たくましく 

 本校は、明治25年10月に開校

 平成12年度は、児童数11名、教職員数6名

 写真の校舎は、昭和21年10月に建築されたもので、木造平屋建て、教室数16。

昔の名取のくらし

 昔の名取の暮らしを、私たちは絵にして残しています。この4点の絵は本校の理科室に掲示しているもので、名取の生活伝え聞いた話をもとにして、卒業生が一生懸命描いたものです。

名取の大火事

 明治34年の秋、名取に大火事がありました。原因は子どもの火遊びだったそうです。その日は強い西風が吹いていたため、火のまわりがはやく、約230軒の家が焼けたそうです。ちょうど葬式のあった日で、葬式の行列を追うように火が燃え広がったと言われています。この絵は、そのときの葬式のようすを描いたものです。客神社にある鎮火地蔵は、その災害の後で立てられたものです。
 

おおしきあみ

 今から60年前ごろから、「くろちの浜」の沖では「おおしきあみ」がさかんに行われていました。そのころの網はシュロで編んでいました。18歳くらいになるとこの「おおしきあみ」の手伝いをしていたと言われています。
 

牛かい

 昔の名取では、畑仕事の他、牛を育てて暮らしていました。多いときには150頭ほどの牛が飼われていたそうです。当時の子どもの仕事は、学校へ行く前にこの牛達の餌である草を刈ることだったそうです。名取は江戸時代、宇和島藩の軍馬を養っていた歴史があります。明治以後は、経済面で馬に変わって牛が飼われていたのでしょう。


 

水くみ

 名取の家は、急な斜面にあるために、昔から水不足に悩まされてきました。水道がつくまでは、村に3カ所あった泉の水をくみ取っては使っていました。学校から帰った子どもは桶で水くみをするのが日課だったそうです。
 今は南予分水のおかげで、野村ダムからとった水量の豊かな肱川の水を使うことができるので、水に困ることはなくなりましたが、水を大切に使った昔の生活の歴史から学ぶことが多いと思います。この絵は、共同の水場で洗濯をしている様子を描いています。このように昔はみんなで共有する施設が多く、人が集まってお互いに情報の交換などをすることで、人と人とのつながりが多かったと思われます。



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