カラスのカアちゃん    けんちゃん 4月

 私が初めてけんちゃんと会ったのは、小学校5年のときだった。けんちゃんは、体も小さくて、スポーツが得意というわけでもなく、内気なあまり目立たない子どもに見えた。どもりがあるので、人と話すのが苦手であり、そのためか勉強もあまりできず、学校ではさえない子だった。しかし、そのけんちゃんの本当の魅力は、学校の外で発揮される種類のものだったのである。けんちゃんの家は、学校からかなり遠いということだった。小学校にはけんちゃんの兄弟はいない。そして、健ちゃんの家のことや家族のことは話題になったことはなく、だれも知らないといったふうだった。わたしが、このけんちゃんに興味を持ったのはなぜなのだろう。何か、ピンと来るものがあったのかも知れない。
 ある日、けんちゃんの家に行くことになった。けんちゃんに聞くと、そんなに遠いとも思えなかった。でも、けんちゃんは、どうしても私に見せたいものがあるようだった。そうして、山の中の家というのにもちょっと興味もあったので、ついに決心してけんちゃんちに行くことにしたのであった。
 学校から私の家までは、歩いて10分くらいだ。私の家に学校の道具を投げ込み、すぐに、けんちゃんたちの集団に追いついた。小田川沿いの道路を30分ほど歩くと、神南山の前の丘陵地帯になる。そのあたりは古田という集落である。ここで、どんどん子どもは帰っていって、集落をすぎる頃には、私と健ちゃんだけになった。さらにそこから、車も何とか通れるくらいの山道を登っていく。薄暗い森を10分ほど歩いて登っていくと、ぱっと視界が開けた。この丘陵地帯は、河岸段丘の台地になっていて、桑畑や煙草畑が広がっている。谷は、きれいな棚田になっている。桑畑の横のなだらかな坂道をさらに登っていくと、やっと尾根に出て、道が交差している。右に曲がって、尾根道を登っていくと峠に出る。その峠を越えると、けんちゃんは、この下に僕の家があると言った。そこは、すり鉢状にへこんでいて、周辺には家はおろか、人工物は何もない。けんちゃんの後を、あとを少し下ると、藁葺きの黒い家が見えてきた。それがけんちゃんの家であった。  けんちゃんの家は、部屋が二つか三つの母屋と納屋からできている。20mほど先に川があって、家の前は、きれいな畑が広がっている。典型的な農家で、中にはいると土間があって、かまどがある。そのころは、私の家にもかまどがあって、時々使っていたので、そんなに珍しい光景ではなかった。ただ、家の中は薄暗くて、奥から何か出てきそうだった。
 天井を見て、私はランプが下がっているのに気がついた。「電気は?」と聞くと、驚く答えが返ってきた。「うちは電気きてないけん。」「えっ!」と、見わたすとなるほど電化製品も電線もコンセントもない。山の中の一軒家で他の家と離れているため、電気を引くのはたいへんなことなのだろう。冷蔵庫もないし、近くにお店もない。食べ物はどうするのだろうと聞くと、「うちでだいたい作っているけん。」との答えである。どうしても必要ならけんちゃんにお金を渡して、学校の帰りに買って帰るのだそうだ。電灯は灯油ランプである。珍しそうに見ていると、けんちゃんはランプを点けてくれた。時代劇なんかで見ると、行灯やランプでもけっこう明るいが、実際には本の字がやっと見えるほどものかすかな光だ。だから、けんちゃんは夜には勉強しない。宿題は、家に帰って明るい間にやる。今日も、まず宿題を片づけた。私も一緒にやったので、結構早く終わって、けんちゃんはうれしそうだ。
 宿題も終わったが、けんちゃんにはもう一つかたづけることがあった。それは、水くみだ。水道も来ていないからだ。土間には大きな水瓶があって、生活水はその水を使う。20mほど離れたところにある小川に、大きな木の桶を持って行って、水をくんでくる。上流には家もなく、小川というより山水なので、その水はとても冷たい。そして、水道水と比べれば、飲み水としては比較にならないほどおいしい。おもしろがって、私も水くみをやらせてもらったが、その重いことと不安定なこととで、一度で懲りた。水って結構重たいものである。でも、雨が続くと、ずっと水がにごっていて、逆に水不足になるそうだ。
 やっとけんちゃんの仕事も終わったので、遊ぶことにした。けんちゃんは家の奥からラジオを持ってきた。電池式の黒いトランジスターラジオは、当時、最先端の電化製品である。その時は、これがテレビの代わりなんだと言っていた。私は、けんちゃんの家の夜を想像して、そんな毎日を過ごしているけんちゃんは、すごいやつだと思うようになった。それから数年後、中学生になると、私がラジオを良く聴くようになり、けんちゃんとの毎日の話題はラジオのことになっていく。そうして、ある文化をけんちゃんと共有することになる。
 さて、その後、けんちゃんは、初めてきた友達である私に、カアちゃんという友達を紹介すると言いだした。いったい何かとたずねると、けんちゃんはニヤッと笑った。けんちゃんは家の前の山の上に向かって、カァーカァーと叫んだ。すると、パサパサと音がした。そして、林の中から大きな黒い鳥が空に舞い上がり、一直線にこちらに向かってくる。けんちゃんの肩に舞い降りてくると、その鳥は「カァ」と一鳴きした。それは、カラスだった。 私は、目の前でカラスを見たことはなかったので、その大きさにかなり驚いた。
 数ヶ月前、けんちゃんは山で赤ちゃんのカラスを拾ったのだそうである。そして、反対する親を何とか説得してそのまま育てたのだそうである。カアちゃんと名づけられたカラスは、今では、とてもなついているという。けんちゃんは、私の腕にもカアちゃんを停まらせようとしたが、つつかれそうで、とても怖かった。私の肩にのったカアちゃんは、翼を広げると結構大きく見えるのだが、思ったほど重くはなかった。それに、結構頭も良さそうで、愛嬌者だった。けんちゃんが走りまわると、カラスも大喜びでは飛びまわり、けんちゃんの肩や頭にのって遊んでいる。私は、この風変わりで賢い友達のいるけんちゃんがうらやましかった。けんちゃんには、兄弟がいたが、全員就職していっていなかったので、今は、ひとりっこのようなものだった。そういうけんちゃんにとって、カアちゃんは、弟のようなものだったに違いない。後で知ったことだが、カラスは普通、人間にはほとんどなつかないらしい。  カアちゃんを肩に乗せて、私たちは杉山に行った。杉の木が花をつける時期だったので、けんちゃんは杉玉鉄砲を作ろうと言った。細い竹に開花前の杉の雄花を詰めて、紙玉鉄砲の要領で押し出すと、パン!と、けっこういい音で飛んでいく。二人でさんざん撃ち合いをして、そのうち飽きると、次に杉花粉の煙幕でも遊ぼうということになった。けんちゃんは、家から一升瓶を持ってきた。なんとその中には、杉花粉がいっぱい入っていて、私たちはそれをかけっこして、忍者ごっこをして遊んだ。クリーム色の煙幕は、鼻や口に入ってもほとんど刺激もなく、煙幕としては最適だった。しかし、その十年後には、私は花粉症で苦しむことになったのだった。
 けんちゃんの家から帰るとき、峠のあたりで、怪しい昆虫を見つけた。それは、大きさから見るとアゲハの幼虫のようだった。しかし、今までに見たこともないほどの美しい幼虫だった。後で調べると、ジャコウアゲハの幼虫のようだったが、精密なガラス細工のように透き通った体に、薄い緑色が翡翠(ひすい)のように入った、動く宝石のような虫だったのだ。しばらく眺めていたが、日が傾いてきたので、急いで帰路についた。  このように、けんちゃんの通学路には、面白いものをたくさん見つけた。それで、けんちゃんの家は遠いけれど、毎週のように私は通うことになった。ある日は、街の鍛冶屋に二人でへばりついていた。薄暗い部屋の中に響くふいごの音と、勢いや色が刻一刻と変化する炎、そして、赤く焼けた鉄を二人でカンカンとたたいて、鎌やくわが見る間にできていく。そんな光景は、今の日本ではほとんど見ることができなくなってしまった。平成17年に韓国の群山市場で久しぶりに街の鍛冶屋を見つけて、久しぶりにその光景を楽しむことができた。
 そのようにけんちゃんの家に行くと、何か新しい発見があったのである。私は、もともと野外での自然遊びが好きだったが、この自然の申し子のようなけんちゃんと出会うことで、ふつうの少年が味わえない自然体験ができるようになったのであった。