捕虜収容所遺跡公園へ

 巨済島の見所といえば、海金剛などの島々くらいしか知らない。パンフレットをみると一番目を引くのは捕虜収容所遺跡館である。玉津には李舜臣ゆかりの記念公園や巨済には朝鮮時代の迎賓館などがあるようだがわざわざ行こうとは思わない。他にも金泳三の生家なども書いてあるが、いったい大統領の生家などを見ることで何が得られるのだろうか。
 ということで、ちょうど古県にある捕虜収容所遺跡公園に行ってみることにする。この島には鮮戦争時代になんと30万人以上の捕虜を収容していたという。そういう側面から戦争を考えさせるといった施設は、日本でも行ったことがない。捕虜の話は聞いたことがあっても、その生活全般についてはほとんど知らない。どうもそこには収容所のセットみたいなものがあるようなのだ。
 11:20、古県のバスターミナルについたら、昨日見た「捕虜収容所遺跡公園」看板の前に立つ。1.9kmというのは歩いていくか乗り物で行くか微妙な距離である。しばらく考えて、暑い中歩くのを避けるため、タクシーで行くことにする。看板のデジカメ写真を運転手に見せて向かう。11:30、山裾のそれらしき有刺鉄線で囲まれた公園の前に着く。公園という名なので、以前行った光州の5.18記念公園のように、史実を忘れないための記念碑的な公園かもしれないと思っていたが、大きな駐車場もあって、なにやら本格的な施設のにおいがする。

 ゲートをくぐって中にはいると、正面にパンフレットの写真にある朝鮮戦争関係国と巨大ヘルメットの彫刻が中心にある広場が見えた。しかしその前には有刺鉄線の柵がズーと続いていて入れそうにない。柵の隙間から出入りする小学生はいたが、どうも入口はずっと左にあるようだ。そこで、そちらの方に歩いていくと大きな噴水のある広場があって、多くの人が記念写真を撮っている。その傍らにこの公園の案内図(右)がある。どうもこの先にある巨大な戦車の下に入場ゲートがあって、山肌に沿っていくつかある展示館をめぐり、原寸大の収容キャンプに降りて来るようになっているようである。巨大戦車の下のチケット売り場に行って、3000wの入場券を購入し、入場ゲートでもいでもらう。
 巨大戦車の正面の入口に入るとエスカレータがあって、そこを登っていく。薄暗い館内には左右に朝鮮戦争に関係する米英中ソなどの政治家や軍人の実物大の絵がずらりと並んでいて、妖しい雰囲気が漂っている。戦車内部を登り切って野外に出ると、少し上に「ジオラマ館」が見える。ここには右写真のように17万人もの捕虜を収容する広大な捕虜施設のジオラマが館いっぱいにある。  そこを出ると、野外に戦車と兵士の実物大の模型があって、子どもに父親がなにやら説明している。父が先に行った後、左写真のように子どもは兵士の銃を奪って兵士に向けて喜んでいる。後から来た年配のアジョシが厳しくしかっていた。韓国には、まだよその子を遠慮なくしかる親父が生息しているようだ。あなぐらからの戦闘の様子の実物大の模型を過ぎると、目の前に625(韓国では朝鮮戦争を625事変という)と立体的に描かれた館が見えてくる。ここには朝鮮戦争の歴史にかんする展示がある。ふと見ると「SECOM」の文字。韓国では、日本以上にこの日系警備会社が幅をきかしていて、いたるところこの赤い文字のステッカーがみられる。治安は良さそうな気もするが、保安に関する韓国人の需要は日本の比ではなく、このことは朝鮮戦争による南北軍の移動による略奪が原点になっているのかも知れない。
 やがて、この公園の最も高い地点にさしかかる。ここには、破壊された鉄橋に多くの人が数珠なりになった実物大?の模型(模型というより芸術作品のようだ)がある。これは、北朝鮮軍がソウルに流れ込んできたとき、動きを止めるために軍の移動の後、漢江大橋が爆破され、多くの避難市民が取り残されたときの模様であろう。
 次の館は、収容所キャンプの生活の様子をジオラマや写真で展示している。ここまでは厳つい展示ばかりだったが、ここに来て子どもを遊ばせる小さなアスレチック公園がある。しかしよく見るとこの公園の隅には、兵士を地下壕から引きずり出している実物大の場面がごく自然にある。楽しく遊ぶ分雰囲気ではないとは思うが、子どもは無邪気に遊んでいる。途中にジープなんかがあっても喜んで乗って遊んでいる。子どもは無邪気なものである。しかし、捕虜の顔に穴を開けた大きな記念撮影用の絵があって、そこに喜んで顔をつっこんで喜んでいる光景はちょっと違和感がある。まあこんなボードを設置するする方もする方だが、少なくとも韓国の子どもは、戦争に親しんで?いるのである。


   2006 08/11