全羅南道〜釜山 汽車の旅

 10:15、定刻通り釜山行きムグンファは発車した。 すぐ隣に50歳くらいの男が座った。少し日本語ができるのか「チュング?」「イルボン」「目的地は?」「プサン」の後、中国語と日本語の漢字の表記の違いを教わった。金庚準(キムキョンジュン)氏は、広海産業の理事でスズキの1100ccのバイク(刀か?)に乗っていて事故にあい、後遺症でしゃべりにくいため、手記にて会話する。日本語は、ツとシの表記の区別、ツの発音が難しいそうだ。
 11時前には、日本の田舎町に似た風景の中を列車は走る。山の途中まで棚田があり、その畝の作り方なんかもである。線路は複線で、駅はどれも新しく整備されたよく似たつくりである。ただ、時々見える墓がちょっと違う。石柱の上にちょこんと乗った彫刻、お椀を伏せたような芝生の丸い二つの土盛がある。
 養犬場も見える。全て赤犬なので食用の犬かもしれない。ここにも江原道同様、結構赤松林がある。カモシカのような見かけない家畜やダチョウをを飼っている農家もあるようだ。時々通る車掌は次の車両に移るとき、扉の前で正面を向いてきちんと礼をして出て行くのには感心する。
 松汀市、西光州には停車したが、光州には停車しない。私の持つ地図では確かに光州を経由しているが、慶全は光州の南を通っているようだ。延々と同じような田園風景が続く。隣に乗っていた金氏は順天で降りていった。
 全羅道から慶尚道に変わり、何か変化があるかと思ったが、自然はもちろん家も墓も畑の様子もほとんど変わるものはない。今度、隣に座ったのは子供を背負ったアジュマで、ばたばたとミルクを飲まして私の足を蹴っただけですぐに降りていった。列車の後ろは、連結部がそのまま開いていて、喫煙室になっている。線路は単線になっていて、そこから外の風景がよく見える。線路沿いに延々と続く柿の木畑、この辺ではメジャーな娯楽なんだろうか弓道場で多くの人が興じている。これらの風景を味わいながら写真を撮っていると、めずらしいのだろうか目の前の少女がじっと見ていた。
 咸安(ハマン)あたりになると、丘の上に大きな墓がめだつようになる。両班の墓か?山の緑はほとんど松になってきた。北向きの日陰には雪が残り、氷も張っているようだ。
  H14.12.30-3